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安房ハイキングクラブ5月のハイク

2008年5月の低山ハイクは3月に荒天中止となった「伊予ガ岳」です。
奮ってご参加ください。


安房ハイキングクラブ 2008年5月の低山ハイク
伊予ガ岳(いよがたけ)337m
2008年5月25日(日)9時30分 道の駅三芳村鄙の里集合


「安房妙義」「房総のマッターホルン」と俗称される伊予ガ岳。
その特徴ある姿は房総半島を代表するランドマークとなっている。江戸後期鴨川の漢学者・堀江顕斉は『房総遊覧誌』「伊予嶽」の中で、「村民、大旱ニ会ウテ雨ヲ請フニ非ザレバ登ラズ、予、壮年ノ頃辛ウジテ頂上ニ至リシガ、実ニ戦々兢々タリキ」と記している。

 山名になっている伊予は、四国愛媛県の旧国名で、ここにも、房総半島と阿波の国(徳島県)など四国との縁の深さがうかがえる。伊予ガ岳もその一つの象徴であり、その名も、阿波斉部氏のふるさと、四国の最高峰石鎚山の別名「伊予の大岳」に由来するという。

 伊予ガ岳の眼下に広がる平久里の郷は、大和朝廷末期の大氏族蘇我氏の一族・平群朝臣族(へぐりあさみぞく)が住み着いた土地だといわれている。遥か古代、山深い平久里の郷は、阿波の政治や文化の中心地だったのである。

 また、平群の集落のほぼ中央から館山湾に注ぐ平久里川の中流域に、増間(旧三芳村増間)という地区がある。この地区は、三芳村に編入する前は平群村に属していた。この増間には、徳川家康に敗れた里見の残党が隠れ住んだといわれている。彼らが、目立たないように間抜けを装っていたことから、「増間の馬鹿」という言葉が残っている。こういった揶揄が300年〜400年も語り継がれているのは興味深い。房州一帯では、今でも高齢者の中には「増間のバカじゃないんだから、はっきりしろ」などと言う人がある。

 伊予ガ岳を舞台にした、不思議な事件がいくつも記録されている。延喜11年(911)、大貫村(現在の富津市)で稚児舞が行われていた。そこに天狗が現れ、村の有力者の子ども・千代若丸をさらっていった。天狗は千代若丸を平群に捨て、村人が伊予ガ岳に葬ったという伝承が残されている。

 近年でもこんな話がある。平群村米沢の安西団次という男がいた。明治12年(1879)、十六の時に近隣の八束村の農家に奉公へ出た。ある日の夕暮れ時、馬小屋近くで「兎刈りに来た。捕れたので手を貸せ」という声に呼ばれて出かけたまま帰らなかった。村人たちが総出で探したが見つからず「神隠し」だとあきらめていた。五日後、農家の外で「ドーン」という音がした。主人らが出てみると、庭に団次が倒れていた。彼は「天狗に連れられ、空中を飛び回っていた」と語った。以来、団次は目が輝き、朝夕水垢離をかかさず、神主試験に合格。昭和8年(1933)72歳で亡くなった。

 小松寺の天狗と関連した伝承などもあり、房総半島の山岳宗教を知る上で発掘しなくてはいけない謎が、まだまだ残されている。3月の低山ハイクに予定していたものの荒天中止となった「伊予ガ岳」行きで、どんな発見があるのか今から楽しみだ。


安房ハイキングクラブは、日常目にする、名もなき(知られざる)山々を、
ひとつずつ丁寧に歩くことを目的とした集まりです。お気軽にご参加ください。



安房ハイキングラブ 入会金 ¥1000(オリジナルワッペン付)+スポーツ保険加入料 ¥1500
お問い合わせ:テトラスクロール TEL0470-47-5822 千葉県南房総市和田町和田447

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2008年04月30日 14:31に投稿されたエントリーのページです。

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