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「エコサーファー」最新号配布開始しました。
教育やエネルギーのオルタナティブを目指すのと同じように、健康の自立もこれからをより良く行くために重要なテーマです。
テトラスクロールのこの春からの新しい試みの一つが、テトラスクロール・ボディスペースです。ボディスペースという名称は、かつて津村喬さんが呼びかけ人として提唱していたボディスペース=「からだがくつろぎながらいろいろ学べる場所」から名づけました。
家庭はかつて創造の場でした。味噌でも漬け物でも、そういう小さな創造がとても大切な役割を持っていました。それをすべてお金で買うことに置き換えてしまうと、家庭はただ金銭の中継地点になるばかりです。家庭医学のかわりに医療サービスや健康商品を購入するだけだと、この面でも創造は失われて、金銭授受だけになってしまいます。それによって実は「生きた人間教育の場としての家庭」も空洞化してしまいます。
この「家庭の癒しの原理」というのはコンピュータでいうところのOS(オペレーション・システム)に当たるものです。つまり、その家庭に固有の「癒しの原理」というOSがあってはじめて、その上に経済活動や社会活動、子供の教育といった「ソフトウェア」が動くわけです。
第一回目は明日、20日。
「ゆるゆる、とろとろ、くねくね、ぷらぷら、ゆるんだ身体を手に入れよう ゆる体操講習会」
4月20日 10時より 南房総市和田町公民館体育館 参加費1000円

「慈悲を生きる ダライ・ラマ14世とチベット」「ヒマラヤを越える子供たち」上映会
4月25日(金)17時から (カンパ)
自由を持たない同郷の人びとの代弁者として、自由な立場で思い切って話すことは私の責任であると思っています。
人びとに計り知れない苦しみを与え、私達の土地、家、文化などの破壊を行った責任者たちに対して、怒りと憎しみの感情持って話しているのではありません。
彼らも幸福を求めている人間であり、慈悲を受けるのは当然です。
私は皆さんにチベットの人びとの念願を知っていただくために話しています。
なぜならば、私達の自由を求める闘いの中で、真実のみが唯一の武器だからです。
ヒマラヤを越えて亡命するチベット難民の子供たちを追った珠玉の短編ドキュメンタリー
1950年代に始まった中国によるチベット侵攻。1959年、インドへと亡命したダライ・ラマ法王の後を追って10万人にのぼる難民がチベットから脱出してきました。
現在もなお、毎年数百人の子供たちが親元を離れ4,000メートル級のヒマラヤを徒歩で越え、数週間歩き続けてインドへと亡命してきます。
彼らは何故、命をかけてまで国境を越えるのでしょうか。短編『Escape Over the Himalayas ーヒマラヤを越える子供たちー』は実際の亡命者に同行し、その姿をとらえた感動のドキュメンタリー・フィルムです。
雪のヒマラヤを越える5人の子供を含む10人の亡命者たちと、緑ターラー菩薩に旅の安全を祈り、彼らを命がけで導くガイドの姿を描いています。本国ドイツで2001年度の「German TV Award」にノミネートされるなど欧州では高い評価を得ている作品です。
日本では、2004年度のバンフ・マウンテン・フィルムフェスティバルの上映作品として一度だけ上映され、静かな反響を呼びました。このたび各方面の働きかけによって再上映が決定。つづいてDVD発売プロジェクトが始動しました。チベット難民の現実をとらえた貴重なフィルムを、この機会に是非ご覧ください。
Flucht über den Himalaya 「ヒマラヤを越える子供たち」
2000年/ドイツ/カラー/ 日本語字幕付/30分
脚本・監督・音声: Maria Blumencron 撮影・助監督: Richard Ladkani
撮影助手: Joerg Arnold ガイド・通訳: Pema Magoo
日本語版制作・・チベットサポートグループKIKU 協力・・ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
今日は、FreeTibet! 「慈悲を生きる ダライ・ラマ14世とチベット」「ヒマラヤを越える子供たち」上映会でした。
多くの方にご参加いただき、チベット問題への関心の高まりを痛感しました。
2008年5月の低山ハイクは3月に荒天中止となった「伊予ガ岳」です。
奮ってご参加ください。
安房ハイキングクラブ 2008年5月の低山ハイク
伊予ガ岳(いよがたけ)337m
2008年5月25日(日)9時30分 道の駅三芳村鄙の里集合
「安房妙義」「房総のマッターホルン」と俗称される伊予ガ岳。
その特徴ある姿は房総半島を代表するランドマークとなっている。江戸後期鴨川の漢学者・堀江顕斉は『房総遊覧誌』「伊予嶽」の中で、「村民、大旱ニ会ウテ雨ヲ請フニ非ザレバ登ラズ、予、壮年ノ頃辛ウジテ頂上ニ至リシガ、実ニ戦々兢々タリキ」と記している。
山名になっている伊予は、四国愛媛県の旧国名で、ここにも、房総半島と阿波の国(徳島県)など四国との縁の深さがうかがえる。伊予ガ岳もその一つの象徴であり、その名も、阿波斉部氏のふるさと、四国の最高峰石鎚山の別名「伊予の大岳」に由来するという。
伊予ガ岳の眼下に広がる平久里の郷は、大和朝廷末期の大氏族蘇我氏の一族・平群朝臣族(へぐりあさみぞく)が住み着いた土地だといわれている。遥か古代、山深い平久里の郷は、阿波の政治や文化の中心地だったのである。
また、平群の集落のほぼ中央から館山湾に注ぐ平久里川の中流域に、増間(旧三芳村増間)という地区がある。この地区は、三芳村に編入する前は平群村に属していた。この増間には、徳川家康に敗れた里見の残党が隠れ住んだといわれている。彼らが、目立たないように間抜けを装っていたことから、「増間の馬鹿」という言葉が残っている。こういった揶揄が300年〜400年も語り継がれているのは興味深い。房州一帯では、今でも高齢者の中には「増間のバカじゃないんだから、はっきりしろ」などと言う人がある。
伊予ガ岳を舞台にした、不思議な事件がいくつも記録されている。延喜11年(911)、大貫村(現在の富津市)で稚児舞が行われていた。そこに天狗が現れ、村の有力者の子ども・千代若丸をさらっていった。天狗は千代若丸を平群に捨て、村人が伊予ガ岳に葬ったという伝承が残されている。
近年でもこんな話がある。平群村米沢の安西団次という男がいた。明治12年(1879)、十六の時に近隣の八束村の農家に奉公へ出た。ある日の夕暮れ時、馬小屋近くで「兎刈りに来た。捕れたので手を貸せ」という声に呼ばれて出かけたまま帰らなかった。村人たちが総出で探したが見つからず「神隠し」だとあきらめていた。五日後、農家の外で「ドーン」という音がした。主人らが出てみると、庭に団次が倒れていた。彼は「天狗に連れられ、空中を飛び回っていた」と語った。以来、団次は目が輝き、朝夕水垢離をかかさず、神主試験に合格。昭和8年(1933)72歳で亡くなった。
小松寺の天狗と関連した伝承などもあり、房総半島の山岳宗教を知る上で発掘しなくてはいけない謎が、まだまだ残されている。3月の低山ハイクに予定していたものの荒天中止となった「伊予ガ岳」行きで、どんな発見があるのか今から楽しみだ。
安房ハイキングクラブは、日常目にする、名もなき(知られざる)山々を、
ひとつずつ丁寧に歩くことを目的とした集まりです。お気軽にご参加ください。
安房ハイキングラブ 入会金 ¥1000(オリジナルワッペン付)+スポーツ保険加入料 ¥1500
お問い合わせ:テトラスクロール TEL0470-47-5822 千葉県南房総市和田町和田447