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2008年01月05日

●「実験動物としてますます貢献してくれそうだ。」

新年早々気が重くなる。


読売新聞の記事。

細胞増殖の体外観察に貢献!自治医大で「光るラット」作製

 ホタルの発光遺伝子を組み込んで、青く光るラットを、自治医科大の小林英司教授が初めて作製した。がん細胞や再生医療用幹細胞の増殖する様子を体外から観察できるという。


 組み込んだのはホタルの発光酵素ルシフェラーゼを作る遺伝子。発光物質を注射すると青く光る。肉眼では見えず、高感度カメラを使うと確認できる。体重約20グラムのマウスを光らせる技術はあるが、体重200~300グラムのラットでは技術的に難しかった。

 外から光の届かない体内深部を調べるにはこれまで解剖の必要があった。今年はネズミ年。実験動物としてますます貢献してくれそうだ。

(2008年1月4日15時13分 読売新聞)


狂気。狂っているのだ。
「Science Without Humanity、人間性のない科学」を七つの過ちのひとつとしてガンジーはかつて挙げたが、きっとここまで暴走するとは思っていなかったことだろう。合掌。

2007年09月19日

●22日は車に乗らない日

9月22日は、WorldCarFreeDay。

WorldCarFreeDays.jpg

Jammers and creatives,

Every September 22, people across the globe get together to swear off their cars - if only for one day - in a collective reminder that we don't have to accept car-dominated societies, cities, or personal lives. Since its earliest incarnations in the 1970s and '80s, WORLD CAR-FREE DAY has grown into a massive global celebration of human-centric communities and people-powered transportation.

Car-Free Day 2007 could turn out to be the biggest yet. For the first time, China's government is hopping on board, with official events talking place in more than 100 cities, including Beijing and Shanghai. Officials will reportedly be trading in their famed black sedans for public transportation, and some roads will be closed to private cars.

As the world tunes in to the fact that the climate is heating up, this is the perfect opportunity to take the heat off the planet, and put it on city planners and politicians to give priority to cycling, walking and public transport, instead of oil-hungry automobiles.

Visit ADBUSTERS.ORG for links to global resources on going car-free, first on September 22, and then in your everyday life. Let World Car-Free Day be a showcase for just how our cities might look, feel, and sound without cars - 365 days a year.

Cheers,
The Adbusters Team

2007年05月20日

●その日のうちに落ちる花のように

 朝、テトラスクロールに、花びらを並べる。
 一枚、一枚、敷居にそって並べていく。
 丁寧に、丁寧に、花びらに意識を集中して並べていく。


 20年ほど前だろうか、始めてのバリで見た、祈りの花の美しさが、今も忘れられない。

 花で知られる南房総だが、美しい花のあしらいを見ることは滅多にない。

 きっとそこには、何かが欠けているのだ。


 それは、たぶん、「祈り」だろう。

 朝、バナナの葉に盛りつけた供物をそなえる時も、寺院で祈る時も、バリ島の人たちは必ず両手の指さきに花びらをはさんで合掌する。シヴァ神に、ヴィシュヌー神に、先祖たちに、それぞれ赤や黄や白の花を使いわけて祈るのだ。祭や儀式の時は、いっせいに合掌する人々の指さきで、無数の蝶が舞っているように見える。それは私の知るかぎり、世界中でバリ島にしかない祈りの作法である。その日のうちに落ちる花のように人は生を享けて、苦しみ、悲しみ、喜び、考え、意識し、願い、そんな営みすべてを花のように顕現させ散っていくだけなのか。バリ島の人たちの指さきの花は、ぞくぞくするほどなまめかしく、きよらかで、私の眼には世界で最も美しいものの一つに映る。

この、花一輪がなければ 宮内勝典「バリ島の日々
2007年05月19日

●トマトが「いいよ」といったときに

 雨が降る前にと思い、今朝は、早くからワタ畑の種まきをした。昨年は早い種まきを心がけ、その「読み」通り、過去最高の出来となった。今年のボクの「読み」は種まきを遅くすること。旧暦だったり、直感だったり、天気図だったり、いろんな要素から、今年の長い時間の気象・温度を読んで、それに向けて計画をたてる。必ず当たるわけではないけれど、確率は悪くないように思う。サーファーが天気図とともに暮らすように、ファーマーもまたそうあるべきだ。「野性の思考」とまではいかないが、忘れてしまった何かがそこにあるようにボクは思っている。


 言いかえれば、「土いじりに精を出す」といっても人によって千差万別だということである。わたしが初心者にすすめたいのは、毎日数分でもいいから土の上にしゃがみ込んで、植物の生長を見守ることだ。こうした行為は、まちがいなく人間にスピードを落とすことを教えてくれる。これからは、トマトが「いいよ」といったときにトマトを食べることを学ぼう。わたしの見るかぎり、どんな作物を手がけてもいちばんの知恵は根気だが、人間にとってそれを実践するのが最大の難関かもしれない。前著「イルカの夢時間」にはこう書いた。


    これは「観察」ではなく、「参加」の関係といえる。
    あらゆる静的なものとあらゆる動的なもののちがいはそこにある。



畑の隣人 ジム・ノルマン「地球は人間のものではない」」

2007年05月18日

●うかつ者であってはならない

私達百姓は、都会人に自然美を指摘されて始めて気の付くようなうかつ者であってはならない。

坂本直行 「開墾の記

 1993年の11月に移住して来てから初めて、車のない暮らしをおくっている。正直なところ、この地域で車を持たずに暮らすのは不可能だろう。あと何日続くのかわからないが、今はこの暮らしを楽しみたいと思う。

 「移住」と言う言葉を、ボクらは良く使う。「移住組」と言ったり、言われたりする。自分がどこどこ出身というのは一生消えることのない事実だ。そして移住してきたことも、これもまた紛れもない事実だ。

 だけど、15年も暮らし続けた場所は、今暮らしている場所だけだ。生まれ育った家と同じくらいの時間を、ボクは今の家で過ごしてきたし、また、この先だって暮らしていくのだろう。

 ボクの気分では、「移住」よりも「再定住(reinhabitation)、「住みなおし」と言ってもいいかもしれない。15年も房総に住んでいたら、もちろんもう都会人ではいられない。けれどまた、どうあがいても土地の人にもなれない。

 そんなボクらを総称するなんか素敵な呼び名があればいいなぁ。

2007年05月14日

●すべてが簡素で、明朗なものでありたいと思う

敬愛する猪谷六合雄さんの言葉。

「私は、山小屋の狙う感じは、すべてが簡素で、明朗なものでありたいと思う。」

そして、バッキーの言葉。

「Do more with less.(すくないもので、より多く)」

さらに、ミース・ファン・デル・ローエの言葉。

「Less is more.」


テトラスクロールも自分の暮らしも、今はそうありたいと強く思う。

2007年05月04日

●ある種の鳥が集まって騒ぎ始めたら

一昨日は首都東京にいたのに、昨日、今日と晴天の下、畑仕事にひたすら精を出す。
テトラスクールの「ワタツクリ」で、子どもたちといち早く播いたワタももう芽を出している。

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先日、サティシュさんが「人類の進化」についての質問に対して、「進化」というと直線的なイメージが強いので、「展開(unfolding)」のほうがいいのではないかと語っていた。例えば、植物の種の中には、すでに成長した姿が内在している、そう、ドングリの中にはすでに大きな樹の姿がしまわれている、あとはそれを「展開」するだけでよい、そう言っていたことが、畑仕事をしていると感覚的によく理解できる。

「農的暮らし」とかではない。unfolding、展開すること。

「教育(education)」の語源となるラテン語、エデュカーレが「引き出す」ことを意味するように、潜在的な能力や様々な可能性を展開することが、ボクたち人間の仕事の大部分なのだ。だから、ボクは野菜やワタを育ててはいない、大いなる自然の贈与の恩恵に、ただただ感謝しながら与るだけなのだ。


 それでは、心身両面を健全にする運動とは、どんなものでしょうか。まことに自然はよくしたもので、心身を同時に使うことができるのです。地球上の大多数の人間は畑仕事をして生きています。農夫は骨の折れる肉体運動をしなくてはなりません。衣食を得るために彼は八〜十時間、時によるとそれ以上働かねばならないからです。そして精神状態も良くないと、能率の良い労働はできません。栽培法の細かいことにもすべて精通し、土や気候についての知識を十分にもち、太陽や月や星の運動に関する十分な知識も必要でしょう。非常に有能な人物でも、そういうことに関してはかなわないほど、農夫は刻々の環境の状態を十分に知っていて、星を見れば方角がわかり、鳥獣の道からいろいろのことを知ることができます。たとえば、ある種の鳥が集まって騒ぎ始めたら雨になるだろうと判断します。彼は自分の仕事に必要な土地や気候のことをよく知っています。子どもを育てるために、『ダルマ・シャーストラ』のこともある程度知らねばなりません。彼は広い戸外で暮らすので、神の偉大さを容易に理解することができます。

 人がみな農夫になれるわけではありませんが、農夫の生活こそ、人間の自然な生活だといえます。人間のこのような自然の生活から離れればは離れるほど、病気に苦しまねばなりません。農夫の生活から教えられるのですが、人間は精神労働も含めて、少なくとも一日に八時間は働くべきです。

畑仕事 M.K.ガンジー「ガンジーの健康論」

2007年04月22日

●アースデーに

今日、4月22日はアースデー。
ボクは朝からワタ畑で、少し早い種まきをした。

「衣の自給」などできないのはわかっている。だけど、奴隷や機械化、農薬や世界の不公平を思うきっかけとして、ボクはワタを作り続けている。

今年からは、テトラスクールの一プログラムとして、ワタツクリを体験してもらえるようにした。興味がある方は声をかけてほしい。


2003年のイラク侵略以前にイラク国内にあったとされる化学兵器の総重量・・・・3,850トン

地球に広く存在するもっとも危険な農薬6種の総重量・・・・7,000,000トン

2003年のアメリカのイラク侵略以前の6年間にイラクの化学兵器が原因で死亡した人の数・・・・0人

同じ6年間に農薬が原因で死亡した人の数・・・・1,000,000人以上


「WORLD WATCH日本語版」(Vol16No4)ー「さまざまな化学兵器戦争」より(ごく一部抜粋)

2007年03月22日

●この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ。

人も年を重ねると、フットワークが鈍くなったり、感が鈍ったり、ケガの治りが遅くなったり、いろいろと老いのはじまりを感じることもある。ボクも今年は42歳、人生の折り返し地点を既に過ぎ、インプットからアウトプット、吸収から整理へとモードはすでに変わり始めている。数年前ならすぐに治ったケガも、思うようには治らくなっている。今さらながら運動前のストレッチの重要さを痛感するほどだ。

だがしかし、人は年を重ねても、恋をする。
それはまるで、高校生の頃と何も変わらないピュアな感情だ。
自分の中に、まだこんな領域が残っていたことに、感動に似たものを感じる。

風の強い岬に立っていろいろ考えごとをしていたら、テトラスクロールの開店コンセプトの一候補になった横光利一「春は馬車に乗って」の一節がふいに浮かんできた。

「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ。」


2007年02月03日

●こんにちは、パソコンです。どうも、Macです。

英語でしゃべらナイト」、「世界一受けたい授業」、など精力的に日本のテレビへ出演しているアル・ゴア氏。残念ながら、未だ「不都合な真実」を見られないでいるが、テレビ番組からも、彼こそが大統領で「あり」続けるべきだったことがよくわかる。

インフォメーション・ハイウェイを推進し、自らもアップル・コンピューターのヘビー・ユーザであるゴア氏は、アップル社の取締役でもある。もしあなたが、映画「不都合な真実」や、最近のゴア氏の言動に興味を持ったら、「Macをはじめよう。」を検討してもいいかもしれない。

2007年01月25日

●キャキュキョ

昨日の地元紙の紙面から。

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妙にキョギョキョギョしているが、これもまた、偶然の面白さ。

2007年01月23日

●より少ないものでもって生きる意図的な選択

旧ブログのタイトルの元になった、ボランタリー・シンプリシティ(自発的簡素)―人と社会の再生を促すエコロジカルな生き方のデュエイン.エルジンの言葉から。

外面ではより簡素で、内面ではより豊かな生き方。生の内的な側面と外的な側面の両方のバランスがとれた統合的な生き方。生の流れ(プロセス)のなかでかならずより多くのものが返ってくると信じて、より少ないものでもって生きる意図的な選択。いま以上にずっと軽く、やさしく世界に触れるための技術を意識的に学ぶ道。われわれのもっとも真正な生き生きとした自己が、生活のあらゆる側面(仕事、人間関係、消費活動など)と直接的・意識的に接触するようなあり方。われわれの人間としてのさまざまな潜在的可能性を開発するとともに、われわれがその分かちがたい一部であるところの世界の十全性に寄与する責任を受けいれるような生き方。生活の皮相的な諸側面を切りつめて、より多くの時間とエネルギーをもっと心にひびくような側面の開発にふり向けること、等々。明らかに、「自発的簡素」という考え方にはほかにもたくさんの定義ができるだろう。おのおのが自由に自分なりの定義を発見し、創造すればいい。
2007年01月10日

●「所有」しようとすることが多すぎ

バックミンスター・フラーの言葉から。

世界中のベッドと寝室は、一日の3分の2は空いている。 自動車も一日の6分の5は誰も乗っていないし、動いてもいない。 この無駄にはふたつの大きな理由がある。 ひとつは、われわれは何をやるにしても、最大の負荷を想定するからである。 ふたつめは、「所有すること」が正当であることを示すためだけに 使う物を「所有」しようとすることが多すぎ、またそのための物が溢れているからである。
 

◎ → The Buckminster Fuller Institute

(元エントリー 「だってみんなひとりだろ

2007年01月08日

●水の如く、ただ在れ。

浜野安宏「新質素革命」から。

 何かに支配されないと生きていけないような人間に居直るのは、もうやめよう。
じゃあどうしたらいいかって?
生真面目に自分を見つめて、毎日の生活を、地平から離れずに楽しんで生きればいい。
「平常心是道也(へいじょうしんこれみちなり)」
たまに澄み切った自然の川を見続けたほうがいい。川は上から下にしか流れない。
「如水」
身体に染み込む言葉だ。水の如く、ただ在れ。川とともにただ在れ。
サーフィンのグル、ジェリー・ロペスも同じようなことを言っている。
「Just Flow With It」
それの、つまり最高の波の命ずるままにただ浮かんでいろ。
波の何たるかを体得している人間、どうしたら波とともに自然に漂えるかがわかった人間だから言える言葉なのである。
 いつでも自分でいられて、新しい変化にごく自然に応じられるようになること。ただ自分で在りきることが、変化を呼び込み、新しい状況を巻き起こすのである。
 質素革命の基本は自然に素直に、喜びをもって、ただ在ることなのである。

「生真面目に自分を見つめて、毎日の生活を、地平から離れずに楽しんで生き」ること、ボク自身にとっての今年の大きなテーマでもある。