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毎日毎日の暮らしの中で思ったことや出会ったもの....、そんなものたちを日記形式で綴っていきたいと思います。 |
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過去の日記→ |
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2003年8月10日(旧暦7月13日)
以前から興味があったウェブログを、animism onlineに導入した。毎日のように更新する「キープ・パドリング!」のページをblogにし、ここダイアリーの更新頻度が低くなってしまっているので(どうしてもコラム風にと書いてしまうので・・)、日々のモノコトをメモのように綴るanimismblogを新しく設けた。
flashなどで作り込んでいくウェブの可能性ももちろんあるだろうけど、個人によるウェブ出版を考えたとき、blogの可能性は無限大にも思える。インターネットというツールがすでにこの国においても一般化した今、ますますこのツールを、どうやって使うのか、何のために使うのか、そんなことが問われてくるのかもしれない。
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2003年7月29日(旧暦7月1日)
今日は旧暦の7月1日。当たり前のことだが、月は新月、その姿は見えない。
都会を離れて暮らしていると、旧暦のほうがどうにもしっくりとくることが多い。実際、このへんのおじいちゃんやおばあちゃんには、今日が何曜日なのかよりも、今日の潮回りのほうがリアリティがあるのだろう。大潮の朝、干ききった磯には、タコ採りや貝採り、海草採りの人がいっぱいで、まるで何かのイベントのようにも見える。旧暦の世界は、人が人に合わせたり、人がシステムに合わせたりするのではなく、人が自然に寄り添って生きる、人が自然に合わせて生きる、そんな謙虚な生き方の世界なのかもしれない。
畑仕事では、太陽の圧倒的な質量の恵みに驚かされることが多いのも紛れもない事実だが、海や生き物からは月のリズム、流れのようなものを教わることが多い。地球という惑星に生きるボクたちは、太陽と月という二つの軸から生まれる複雑なリズムに生かされていることを、新月の夜に考えてみた。
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「旧暦はくらしの羅針盤」
小林 弦彦

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「旧暦と暮らす」
松村 賢治

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「月からのシグナル」
根本 順吉

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「月のお告げ―
MOON MAGIC」

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2003年6月19日(旧暦5月20日)
THE TRUTH IS OUT THERE、9年間にわたって見続けてきた「X-FILE」が、ついにグランド・フィナーレを迎えた。今でこそ市内に2軒にあるレンタル・ビデオ・ショップも、数年前まではわずか1軒だけだった。東京で暮らしていた頃には、A店になければB店、B店になければC店、という具合に、比較的簡単に見たいビデオを見ることができた。でもここではそうはいかない、数本同時にリリースされるビデオを効率よく確実に見るためには、リリースされる日の開店のタイミングを確実にとらえなくてはならない。市内とはいえ、家からレンタル・ビデオ・ショップまでは8Kmも離れている。そんな厳しい環境で、なんとか見続けてきた9年間が、今となっては妙に懐かしい。
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「I WANT TO BELIEVE」、モルダーのオフィスに貼ってあるポスターが(途中で変わってはいるが)、とにかく好きだ。ボクの机の上には、それを切手にしたものがアクリルのスタンドに入れて飾ってある。シリーズは終わっても、ボクの机の上には、きっと、ずっとずっとその「I
WANT TO BELIEVE」の文字があるだろう、I WANT TO BELIEVE、I WANT TO BELIEVE。
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2003年6月5日(旧暦5月6日)
オープン(複製・再配布可能)な漫画「トランスコミック セカイノカラクリ」(信太正閏)が面白い。ウェブ上でのフリーな公開、PDFバージョンのフリーでの提供といった発表の方法も実にクールだが、やはりその内容が興味深い。柄谷行人の大著「トランスクリティーク」をベースにしながら、そのエッセンスをたった数ページに結実させた能力が光っている。これを読めば誰だって、この世界がいかに「圧倒的な不公平」の上に成立しているのかがわかるだろう。
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2003年5月30日(旧暦4月30日)
辻信一対話集「ピースローソク」(ゆっくり堂)を読んだ。鶴見俊輔、坂本龍一、本橋成一らと繰り広げられる対談のテーマは「スロー」、「スロー」という言葉がメディアや大企業によって汚されている今、本当の「スロー」について考えるチャンスを与えてくれる一冊だ。ピース+スロー+ローソク、それがピースローソク、原発不祥事を電力不足にすりかえようとしている勢力に、ボクはローソクで対抗しようと思う。聖なる「闇」、聖なる「時間」、ボクたちはあまりにも多くのものを、暮らしの中から排除してきた、先へ、先へ、と急ぐために。
6月22日、夏至の日の夜、20時から22時の間、電気を消してローソクを灯そうという呼びかけが、100万人のキャンドルナイトだ。一人一人が、自らの意志で電気を消すこと、そしてローソクに灯を灯すこと、時代の変化は以外にもこんなことから始まるんじゃないだろうか。 |
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2003年5月22日(旧暦4月22日)
お台場の日本科学未来館に行った。オープンした時から一度行ってみたいと思っていたが、なかなかチャンスがなかった。開催されている「TIME!
TIME! TIME! 時間旅行展 Exploration of TIME!」がどうにも面白そうなので、この機会にと足を運んでみた。
日本科学未来館のシンボルとなっている球形のディスプレイ、Geo-Cosmosは雑誌やテレビで目にすることも多くあったが、実際に見るとなかなか迫力がある。寝そべって真下から見られるように置かれたベッド型のクッションもなかなかいい。坂本龍一プロデュースによる音楽も、アンビエントに徹していて実に気持ちいい。
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ちょっと驚かされたのが一階の展示だった。ゲノムやロボット(ASIMO!!!!、PINO!!!)などの花形を差し置いて、重油汚染の微生物による分解や、地球温暖化を防ぐための植林、パッシブソーラーや屋上緑化などで構成されている。ボクらが子供の頃は「未来=明るい未来」だったけれど、今は最初に「危機」を提示して、それから「科学」や「未来」を見せる必要がある、そんな時代に生きていることを痛感させられた。
「TIME! TIME! TIME!
時間旅行展 Exploration of TIME!」は、もう文句なし、最高にクールだった。「テクノロジー」を駆使した本当の意味でのアートといえるような作品が並んでいた。「時間」をテーマにしたアートのテーマパークといった世界に、つい時間が経つのを忘れてしまう。6月30日までと会期も残されているので、是非足を運んでほしい。(ミュージアムショップで販売されていた「カウントダウンCD」や「時香器(じこうき)」もオススメ。)
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2003年5月2日(旧暦4月2日-八十八夜-)
ブッシュが戦争を始めてから、どうにも思考停止状態になってしまっていた。ボクはもちろんこの戦争を「戦争」だとは思っていないし、仮に「戦争」だとしても到底受け入れることなどできない。ブッシュのアメリカを非難したところで、問題の解決にはつながらない。自分の中の「アメリカ」を見つめて、さて自分はどこにいるのだろう、自分は何を見ているのだろう、自分はどこに行こうとしているのだろう、そんなことばかり考えていた。
春は畑仕事も待っていてはくれない。ハスクバーナの草刈り機やホンダのミニ耕耘機の助けを借りても、一日の半分は畑仕事にとられてしまう。庭のプランターから始まったボクの畑仕事も今年はついに二反歩となった。スノーボーディングのオフシーズンは畑仕事のオンシーズン、今年も畑仕事のシーズンは忙しく、そして楽しい。
思考停止状態の間、「波」の写真だけでつくられたrelaxのムック「relax NEW WEAVES by Takashi Honma」をよく眺めていた。100ページ以上にわたって、ひたすら波の写真が何のキャプションもなく並んでいる・・・、永遠の中の一瞬、一瞬の中の永遠、そんな言葉が思わず頭に浮かんでくる。海のそばで暮らし、毎日海に入っていても、この一冊はまた違う海をボクに見せてくれた。
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2003年3月8日(旧暦2月6日) |
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「アレクセイと泉」の上映会へ行ってきた。本橋成一監督が淡々と写し取った、ベラルーシの小さな村ブジシチェの「いのちの水」を中心にした人々の日々の営みをが、美しく、そして逞しかった。チェルノブイリの事故による被災で、「悲しみの大地」と呼ばれるブジシチェに暮らす老人たちとただ一人の若者アレクセイ、彼らの自給自足の暮らしこそ、人間本来の暮らし方かもしれない。けっして貧しくもないし、悲しくもない。大地に足をつけて生きるとは、きっとこういうことだろう。大地や森の恵みをいただき、泉からの「いのちの水」によって生かされる。必要なものがあれば自分の手で作る。アレクセイの朴訥とした語りと、その美しい肉体が、宮沢賢治の童話の主人公のようにボクには見えた。
日本列島のどこにでも、かってはそんな暮らしがあった。それにくらべてボクたち現代人はあまりにも何もできない。食糧自給率は下がり続け、技術はどんどん失われていく。それではいけない、もうこれ以上その流れに乗り続けてはいけない。「アレクセイと泉」を見てそう思った。
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2003年3月5日(旧暦2月3日)
話題の映画、「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観た。マイケル・ムーア監督によるドキュメンタリー作品は、怒りとユーモアが一つになった噂以上の大傑作だった。マイケル・ムーアは、作品中で暴力を追求し、銃を追求し、アメリカとは何かを追求する。そして「恐怖」によってドライブされるアメリカという「病い」を発見していく。しかし、そのことは決してアメリカに限ったことではないのだと、ボクは思う。「ボウリング・フォー・コロンバイン」は、アメリカの狂気を描き出している。そしてまた、アメリカの健全さも、(結果として)教えてくれているのではないだろうか。
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今まさにイラクへの「テロ行為」を始めようとしているブッシュ大統領は、ほんの誤差程度の得票差で大統領になった男だ。誤差が反対票であれば(事実そうだったのだとボクは思っているが)今のような事態にはならなかっただろう。戦争を賛美するアクション大作を作るのもアメリカなら、「ボウリング・フォー・コロンバイン」や「プロミス」といったドキュメンタリーを作るのもアメリカだ。マイクロソフトもアメリカなら、GNU/Free
Software Foundationもアメリカだ。キリスト教原理主義者もアメリカ人なら、戦争反対のデモに参加するのもまたアメリカ人だ。
「オルタナティブ」や「サブ・カルチャー」がイメージではなく、確実に存在する。そして、時にはその力が国の行方を左右する。そんなアメリカは、日本よりもずっとずっと健全なようにボクには思える。本当の「メディア」をボクたちは持っているだろうか。ボクたちに「ボウリング・フォー・コロンバイン」が作れるだろうか。ボクたちは本当の「オルタナティブ」や本当の「サブ・カルチャー」として
機能していけるだろうか。
「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観て、そんなことを考えさせられた。 |
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