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2009年06月29日

●良い姿勢を習慣づけるために

ツトメばかりでカセギはないが、慌ただしい日々が続いている。
そんな日々が続いているとどうしても重心が高くなる。

ブルース・リーの言葉、「魂の武器 」より。


良い姿勢を習慣づけるために次の点に注意すること。


(1)重心を下げる


(2)両足の間に自然な歩幅を残しておく


(3)足の裏の親指のつけ根のふくらみで体重をささえるようにする


(4)ランニングの際も膝をいくらか曲げる


(5)繊細ですばやい動作の際も重心を保つ




ブルース・リー 「魂の武器」

2008年04月20日

●そんなのは呵々大笑すべきです。

今日は、テトラスクロールの新たな試みの一つ、健康や医療の自立のためのワークショップ、TETRASCROLL BODYSPACEの第一回目だった。合気道の稽古ののち、ゆる体操講師の竹田茂代先生をお招きしての「ゆる体操講習会」を行った。

病気にになったら薬局へ行き薬を買うとか病院へ行く、のではなく、病気にならない、または、病気になる前に気づく・・、そんな健康の自立へ向けての、アプローチだ。

手応え、というのはこういうものなのだろう。久しぶりに、そう思った。
正直なところ、「核分裂過程」上映会、田中優さん講演会「戦争をやめさせ、環境破壊をくいとめる、新しい社会のつくり方。」と、何をやっても、「のれんに腕押し」「糠に釘」、打っても響かないことへの無力感が、ボクの中に芽生えていたのだが、まだまだ、あきらめることはないのだと実感した。

まだまだ可能性はある。もう一つの世界は、やっぱり、可能なんだ。ボクはそう信じている。


ゆる体操の高岡英夫先生と、わが塩田剛三合気道養神館宗家の対談から。

塩田 今の人間は、金が無ければなんにもできないというふうな考えが多いです。金が無かったら何一つ出来ないじゃないかという。それは私は矛盾じゃないかと思うんです。自分が一生懸命やらないでは金は入らない。

高岡 順番がちがうんですよね。

塩田 ええ。自分が歩く後に金が追っかけてくるというふうな気持ちで(笑)。こっちは金は全然無いですけど何とかかんとかくっついてくる。道場もお陰様で持てたというわけです。というふうでおりますから、世間では「やれ株が下がった」ってやってますが、そんなのは呵々大笑すべきです。「それは大変だね」とこっちは言っていますけど、ホントはちっとも響かない。

2008年03月18日

●抵抗としての歩き、そして瞑想としての歩き。

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今朝は、今週木曜日の安房ハイキングクラブのハイクに備えて、富山(とみやま)の伊予ガ岳に登った。
安房の妙義山と言われ、千葉県で唯一、「岳」を名に冠する伊予ガ岳は、阿波斉部氏のふるさと、四国の最高峰石鎚山の別名「伊予の大岳」に山名を由来する、ここ安房でも際だった存在の山だ。
鴨川北部の里山からも、その特徴的な姿が目を引く。
頂上の鎖場もこの辺の山では珍しく、機会があったら一度は登ってみてほしい。

安房ハイキングクラブ会報誌「あしあと」に寄せた文章を。


安房ハイキングクラブ発足にあたって      真魚 長明


 今から5年前のある原稿にボクはこんなことを書いている。


 東京を離れ田舎で暮らしはじめて驚いたのは、人がまるで歩かないことだった。歩いている人を見かけることがほとんどない、歩いているのを見かけるとかならず老人か子供だ。自動車に乗る資格を持つ人間は歩かない、自転車にさえ乗らない。書店やスーパーの駐車場でも数メートル歩くのを惜しんで店の前に乗りつける、そこが駐車スペースではないにもかかわらず。
 ボクだって自動車に乗る。ロングボードを持って歩いて海へ行くのは不可能だ。日帰りで新潟や長野にスノーボーディングに行けるのも、モータリゼーションあってこそのことだ。だからこそ、ボクは歩く、そして自転車に乗る。距離や荷物が許す限りそうしている。
 歩くことは、動物としての自分が本来移動できるスピードを思い出させてくれる。その身体感覚を忘れてはいけない、しっかりと身体の中に確固たる感覚として焼きつけなくてはいけない。すべてはその身体感覚から始まる・・・・、歩いて、自転車で、スプートニクで・・・。


 少しばかり恥ずかしさもあるが、これを書いた思いは今も変わらない。いや、かえって強くなっている。六ヶ所村再処理工場に代表される核の問題、ピークオイルなどで考えざるを得ないエネルギーの問題、そうした問題すべての根源にあるボクたちの文明のこと。今、ボクたちが「歩く」ことには、5年前より大きな意味があるよう思う。一歩一歩歩くことは、ビルマの僧侶がそうしたのと同じように、「抵抗運動」なのだ。そしてまた、歩くことは同時に、内省的で瞑想的な時間をも与えてくれる。一歩一歩ただ歩く。ウォーキング・メディテーションを提唱するティク・ナット・ハン師はこう言っている。「ふだんの生活の中でわたしたちはいつも駆り立てられているように感じています。せきたてられ、急がねばと思います。そのくせ、そんなに急いでどこへ行くのかと自分に問うことはめったにありません。歩く瞑想はふつう戸外で行いますがいつまでにどこへ行くといった目標はいっさいありません。歩く瞑想の目的は歩く瞑想そのものだからです。重要なのはどこかへ行くことではなく歩くことそれ自体です。」



 抵抗としての歩き、そして瞑想としての歩き。安房の低い山々はこの二つの歩きに最適だろう。そのことに気づいたら・・・、さあ、今すぐ歩きだそう!。

2008年01月08日

●自分をとりまいているあらゆる存在

今日は近くの里山をゆっくり歩いてみた。

今年から始めた秘密結社的ハイククラブ「安房ハイキングクラブ」の第一回ハイキングの下見としての山歩きだが、低いけれど奥行きのある楽しいものだった。普段見なれた低い山も、一つ一つが立派な名前を持っている。整備されたコースのある山だけが山なのだと思いがちだが、そんなことはない。


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麓ではすでに梅の花も開き、安房の早い春を感じさせてくれた。

 自分をとりまいているあらゆる存在、すなわち岩と土、草花と樹木、そしてサボテン、あるいはクモとハエ、ラトルスネーク(がらがら蛇)、コヨーテ、雨滴と走り去る雲、それらのものとの一体感を体の中にゆっくりと、ゆったりと感じとるようになる。今はもう、世界、あるいは自然というものが人間のためだけに作られているのだなどという愚かな考えからは、はるかに遠いところに自分を置いているのだ。

コリン・フレッチャー「遊歩大全」

「歩く」ことすら、この世界の中では抵抗運動に思えてきてしまう。

2008年01月01日

●大丈夫、副業しなくてもサーフィンはできるよ。

混雑を避けて、日没前の海から帰ると、定点観測ブログKeep Paddling!のアドセンスにこんものが(?)。

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大丈夫。
副業しなくてもサーフィンはできるよ。
安心していいよ。
もちろん、部屋中をきれいなサーフボードでいっぱいにしたいなら別だけど。

2007年08月29日

●理性というより、太古からの本能なのである。

 昨日の皆既月食は、残念ながら稽古時間と重なってしまい、見ることができなかった。天気予報の悲観的な予想に反して、南房総の多くの場所で、皆既月食が見られたと、友人たちが教えてくれた。テトラスクロールの最初のプランに、満月の夜は遅くまで営業しようというのがあった。「六ヶ所村ラプソディー」上映会が終わったら、フルムーン営業を始めようかな。

五億年前、月は、生命をその最初の住処である海より呼び出し、まだ誰もいない陸地へと導いた。月は原始の地球で、荒涼たる大陸から大陸へと潮を移動させたため、浅みにあった生物は、周期的に太陽と大気にさらされることになった。ほとんどの生物は滅びたが、あるものはこの厳しい環境の新変化に適応した・・・月ロケット発射のドラマがわれわれの心をつかんで離さないのも無理はない。上昇するロケットに魅せられるのは、理性というより、太古からの本能なのである。

アーサー・C・クラーク
2007年08月19日

●技術を持たない者は言葉を喋ることすらできない。

矢田部英正「美しい日本の身体 (ちくま新書)」から、振付家モーリス・ベジャールの言葉を。


 技術に頼る者は自分の言葉を語ることはできない。しかし、技術を持たない者は言葉を喋ることすらできない。

モーリス・ベジャール(インタビューより)

2007年07月31日

●水に浮くことの効用

 今朝の海もフラット、カメラを持って海へ。

 浮いたり、潜ったり。
 潜ったり、浮いたり。

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水に浮くことの効用

あおむけになって水に浮いていると
からだのアンバランスが修正され
いつの間にか姿勢がよくなります。


北山耕平「自然のレッスン

2007年07月13日

●超微小距離だけ、入っていく

今日は朝からずっと海に。
毎日のことなんだけど、今日はちょっといつもとは違う。
遥か南海上、沖縄に接近中の台風からのうねりが、ここ南房総の海にも届きはじめたからだ。
地球の強大なエネルギーが作り出す台風という波紋の、外側のエッジの部分が、ここ南房総の海に到達し、そのエネルギーが、サーファーにとってかけがえのない時間と空間を与えてくれる。

ある人が「人類は、エネルギーそのものに乗る方法を、サーフィン以外に発明していない。」と言っていたが、ボクもそのもことを強く感じる。アラスカとハワイを行き来するクジラたちが、地球という惑星(ほし)のスケールを身体の感覚として持っているように、サーフィンという「行為」を通して、ボクもまた、遥か南海上にある台風を、身体の感覚として感じることができるのだ。自分の皮膚の延長に、たしかに遥か遠くの台風が在ることを、まぐれもない自分の感覚としてとらえることができる。

そんなのは嘘だ、きっと、そう思う人も多いだろう。嘘だと思うなら、急いで海へ行ってごらん。
(台風の強大なエネルギーがもたらす被害が、可能な限り少なくすむことを祈って。)


サーフボードの上に腹ばいとなり、その人はパドリングで沖へ出ていく。宇宙の時間と空間のなかへ、その人は超微小距離だけ、入っていく。そしてそれで充分だ、それ以上は必要ない。

片岡義男「宇宙の時間と空間のなかへ」」

2007年07月10日

●求心的ダイナミズムに彩られた自分という「うたかたなシステム」

 週末の賑やかさほどではないが、夏の海は平日でもやはり騒がしい。一年でいちばん波がなくなる時期に、一年でいちばん多くのサーファーが集まるのだから、ストレスにもなるし、もちろん事故やトラブルもある。サーフィン = 夏、という図式もわからなくはないが、ここ南房総でのオン・シーズンは(台風スウェルをのぞけば)やはり冬なのだ。東北や日本海側に大雪をもたらした低気圧が、やがて北海道東沖に抜け、さらに発達する。そこから届くうねりこそが、ボクたちの待つウィンター・スウェルなのだ。今年はここまで、台風の影響もなく、スモール・コンディションが続いている。いつか来るうねりをひたすら待ち続ける。いつか来るうねりに備え、日々鍛錬を忘れない。質素だけどタイトな食事を摂り、摂生を心がける。(心がけてはいるが、できないこともよくある。)そういう生き方、ライフ・スタイルをサーファーと呼ぶのだと、ボクは思う。


 自分自身とその技量をしっかりと心得て、思い切って大きめの波にチャレンジするときにも自分の技量をわずかに超える程度にして、慎重に一歩ずつ歩むようにしておきさえすれば、それほど大きな事故につながることはまずない。それでも ー これはヒトのあらゆる営みにいえることであるが ー なにかが起こったときには、たとえ自分で気づいていなくとも、なんらかの理由で自分自身やさらに大きな自然のダイナミズムにとってそれが必要だった、と考えるのがもっともバランスのとれたアティチュードだろう。少々荒っぽい言い方になってしまうが、もしどうしても波や道具や他人に責任を押しつけなければならないほど、求心的ダイナミズムに彩られた自分という「うたかたなシステム」に執着しているのであれば、最初から危険をともなうサーフィンなどやらなければいいのである。

「春の海に変性意識が浮上する」吉福伸逸「処女航海―変性意識の海原を行く

2007年07月03日

●合気道と再起動

似ていることに今まで気づかなかった。

どちらも毎日のことなのに・・・。

2007年06月20日

●本人のからだと同じように弱い

 梅雨入りしたものの、まるで雨もなく、すでにこのあたりは夏の雰囲気。気持ちも外向きになり、軒先も含めて、戸外で過ごす時間が多くなる。


 室内にこもりがちで戸外に出ない人の書いたものは、本人のからだと同じように弱い。

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

2007年05月29日

●波に自分を明け渡し、波そのものになること

今朝はたっぷりと、サーフィン。コンディションも良く、気分は爽快。波に捕まろうが、つぶされようが、心地よさに変わりはない。

 さあ、仕事は後まわしにして、海へ行こうよ。


 すでにお気づきのように、サーフィンの第一歩はまず波に自分自身を明け渡し、波になることである。このプロセスを経て波そのものにならない限り、波を隅々まで探求して、自由自在に操ることなどできはしない。これはサーフィンばかりか、さまざまなタイプの変性意識状態の体験にもそのままいえることである。

波に自分を明け渡し、波そのものになること 吉福伸逸「処女航海―変性意識の海原を行く

2007年05月27日

●エゴのない状態で波と一緒になる

 テトラスクロールから歩いて海に行くようになって何日か経つ。新しいサーフポイントに順応するには、少しばかり時間がかかる。地形や砂の状態、河の位置など、サーフポイント特有の癖があり、頭で理解していても、身体が無条件に反応できるようになるまでの時間が必要になる。引っ越しをして、新しい土地に身体が順応するのに時間がかかるのと、おなじようなものかもしれない。トライ&エラー、これはこれでなかなかに楽しい時間なのだ。


 うまく波に乗るとか、あるいはテクニックを駆使するという、いわゆるスポーツ競技としてのサーフィンは、やがて飽きてしまいますよ。そうではなく、エゴのない状態で波と一緒になる、その時に感じられる自分や、その自分と自然の関係・・・そういうことを本当に理解したくて、ボクはサーフィンを続けているんです。

アロハを捧げる場所 ジェリー・ロペス「伝説のハワイ

2007年05月22日

●仕事それ自体の中に、遊びそれ自体の中に、

 今までは、朝起きて海へ行き、朝食をとって、テトラスクロールへ行っていたが、最近では、朝起きてテトラスクロールへ行き、そこから歩いて海へ行くようになった。

 新しいホームポイントへ身体が順応するには少し時間がかかりそうだけれど、このスタイルもなかなかいい。

 歳のせいなのかもしれないが、睡眠時間は4~5時間くらいだろうか。ひとには、忙しすぎだといわれるが、どうしてなのか、本人にはそんな気がまったくない。ゆっくり東北の温泉にでも行きたいとも思うが、今はまだいいかな。



 このごろ、リラックスの重要さを説く人が多くなってきたけれども、休息は仕事をする準備のために休むとか、仕事をしたから疲労回復のために休むとかのように、仕事に対立する概念としてとらえるのは本質的に不十分である。

    仕事それ自体の中に、遊びそれ自体の中に、
    眠りそれ自体の中に休むということがなければ、
    仕事も遊びも眠りも成立しない。

 リラックスは人間にとって最も重要な概念であり、感覚であり、技術であるといえよう。(ここでは「休む」ということばを、力を抜く、緊張を解く、ほんのわずかでも緊張することのない、よくほぐれている、という意味を持たせて使った。)

野口三千三 「原初生命体としての人間
2007年05月06日

●真実は、単純な日常の動作のなかにこそある

ひさしぶりに、ブルース・リーの言葉を。

 多くの武道家は、真実に気がつかない。その原因は「より一層」を好み「何か変わったもの」を求めるからだ。
 真実は、単純な日常の動作のなかにこそある。触れ、感じ、見ることで手中にできるはずの真実を、大半の武道家は一点(全体でなく)を探り掻き回すことで、知りそこなっている。

ブルース・リー「魂の武器」
2007年04月02日

●毎日しているだけです。

 テトラスクロールの営業日や時間の変更に向けての作業で、バタバタとした日々が続いていた。ケガの具合もだいぶ良くなり、日々のサーフィンが心と身体に嬉しい。

 サーフィンを始めたいと思っている人に、最後に背中を押す気持ちで、いつも薦めている本に、「伝説のハワイ」がある。その中のジェリー・ロペスの言葉。


 - 現在のハワイアンが失いつつあるアロハを、あなたのほうがむしろずっと深く理解している、というハワイアンもいます。

 GL 深いかどうかはわかりませんが、自分の拠り所はどこかということかもしれません。経済的な成功か、他者からの評価か、あるいは自然という大きな存在そのものか・・・・。僕の場合はたまたま波がすべてなので、その波という自然を深く理解して、最終的にはひとつになることを、毎日しているだけです。

2007年03月23日

●人間は生まれた日からこわれていく。

五木寛之「養生の実技」から。

 養生と治療はどこがちがうのか。
 人間観というか、思想がちがうのだ。治療という考えかたの背後には人間は本来、調和のとれた理想的な身体をもって生まれてきた、という感覚がある。
 機械でいえば、燃料さえ補給してやれば、万事、快調に動くのが当たり前と考えているのだ。そこに異常が生じる。故障をなおすように治療をおこなう。修理が終われば機械はもとどおりに快調に動作する。
 私の人間観はそうではない。人間は生まれた日からこわれていく。老いるとは、そういうことだ。しかも、不自然で、非合理な部分も数かぎりなくある。神秘的といえるほどすばらしい働きもそなえながら、同時になんとも情けない幼稚な部分もある。
 そこを苦心して、少しでも良いコンディションをたもち、故障をおこさないように工夫するのが、養生ということだろう。
2007年03月16日

●エネルギーが動いているんです。

足の具合もだいぶん良くなってきた。週末の合気道審査まで無理はできないが、週明けからはまたサーファーに戻れそうに思う。
映画「地球交響曲<ガイアシンフォニー>第4番」より、神様ジェリー・ロペスの言葉を。

水が移動しているわけじゃないんです。 エネルギーが動いているんです。 水も少しは移動しますが、 ほとんどの水はその場にとどまっていて、 水の中をガイアの巨大なエネルギーが動いてくるんです。 サーファーは、そのエネルギーに乗り、そこで生きるんです。
2007年03月10日

●事実をありのままに受け入れること

骨化性筋炎と診断されたことで、症状が急に改善されてきた。
現在何が起きているのか、つまり、症状にフォーカスしていく西洋医学の良さのような気がする。

事実を知り、その事実をありのままに受け入れることで、治癒のプロセスがスタートしたのかもしれない。
未病を大切だと考える東洋医学と、事象を大切だと考える西洋医学は、もっともっと有機的に機能しあえることを痛感した

2007年03月08日

●検査の結果、骨化性筋炎と診断された

あまりにも遅いケガの回復に、いくらなんでも加齢だけではなさそうだと思い、病院で検査を受けてきた。
「レントゲンの結果、異常が見つかりました。骨化性筋炎ですね。」

骨化性筋炎は筋肉の炎症に引き続いてカルシウムが沈着し、石灰化現象が起こって筋組織の中に骨が形成されることをさします。大腿部前面に起こりやすく、この部分に強い打撃を受けた後によく見られます。チャーリーホースの処置が適切でなく、痛みを無視して筋肉を激しく使ってしまうことで起こります。この他にもしこりのある筋肉を強くもむようなマッサージ、痛みがある時点での無理なストレッチも骨化性筋炎の原因となるので注意が必要です。骨化性筋炎は打撲に対する不適切なケアがもたらす長期的な合併症と位置付けられています。(「真面目にスポーツトレーニング!」より)

ああ、まさにその通りかも・・・。

2007年03月06日

●自分を、そして人生を変えることができる。

今日もヨガにまつわる、敬愛する<神様>ジェリー・ロペスの言葉(「ヨガでシンプル・ビューティ・ライフ」)を。

 もちろん最初はただアーサナを習うだけでもいいんだよ。プラーナーヤマ・エクササイズと瞑想は充分なトレーニングだし、たくさんの時間が必要。けれどヨガは、すぐに表れる肉体的、精神的な利益の他に、あなたを自己発見の道へと招き入れてくれることを忘れないで。ヨガは、自分を、そして人生を変えることができる。そしてヨガの素晴らしいところは、いつでもどこでもすべての人へ開かれた道だということだ。
2007年03月05日

●しなやかな動きを見つけたいという単純な思いでヨガを始めた

ヨガコース開講にあたって、敬愛する<神様>ジェリー・ロペスの言葉を(「ヨガでシンプル・ビューティ・ライフ」)。

 ボクも最初は、波と調和するために、しなやかな動きを見つけたいという単純な思いでヨガを始めた。けれど追求していくと、自分の意識が変わっていくのがわかる。どうしてサーフィンを愛しているのか、海の神秘、波とつながる体と心と魂・・・。

そういえば、ボクが合気道を始めた動機もまるで同じ、「しなやかな動きを見つけたい」からだったな。

2007年03月04日

●ヨガコース(テトラスクール)

4月からのテトラスクールのヨガコースのスケジュールが決まりました。
毎週水曜日(テトラスクロールは定休日)の午前中、ヨガコースを開催します。

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詳細は追って。

2007年02月28日

●ケガをする時にはそれなりの理由がある

ウィンタースウェルがヒットしているのに、陸にしかいられない。
明日はさらにサイズアップしそうだというのに・・・。
2003年にもケガをしてしばらく海に入れない時期があった。
(そのときのエントリー「自宅療養中」から。)

肋骨打撲(折れてはいないと思われ・・・)のため、自宅療養中の身だ。チューブ・ライディングを狙って(調子に乗って?)突っ込んだのはいいが、板もろともたたきつけられてしまった。人間とは不思議なもので、その後も約一時間、痛みを感じることなくサーフィンをしていた。海から出て、実はかなり痛いということにはじめて気がついた。

今までにも海や山で何度もケガをしてきた。そのたびに思うのは、ケガをする時にはそれなりの理由があるということ。油断や慢心、トレーニング不足や生活の乱れ、そんな理由からケガを自ら招いているように思えるのだ。

免疫力や回復力ももちろん大切な「生きる力」だが、ケガや病気を自ら呼び込まない力はもっともっと必要な「生きる力」だと、ケガをするたびにつくづく思う。

2007年02月27日

●身体が教えてくれること

およそ三週間前にボードを右太腿に当ててしまい、軽い肉離れのようになった。
痛いのをそのままにして、サーフィンや合気道を続けていたら、どんどん悪化して、ついに右足が左足の1.5倍ほどまで腫れてしまい、膝を曲げるのも難しくなってしまった。なので先週末からは海にはいるのも断念して、ひたすら静養に努めている。もう若くはない、かつてなら、数日で治ってしまうようなケガも、無理をすればすぐこうなる。新車ではなく、クラシックカーに乗っている心構えが必要なのかな。(内田 樹 / 三砂 ちづる 「身体知-身体が教えてくれること」より。)

内田  武道の場合だと、ほんとうにたいせつなのは、筋力とか骨の強さではなくて、むしろ感度なんです。皮膚の感度じゃなくて、身体の内側におこっている出来事に対する感度。あるいは、接触した瞬間に相手の身体の内側で起きている出来事に対する感度。ぼくはそれを「身体感受性」と言っているんですけれど、実際にサッカーで相手を見ないでパスしたり、野球で背走してキャッチしたりすることのできるプレイヤーがいますよね。あれは目がいいとか、足が速いというような計量可能な運動能力ではないです。身体感受性が鋭いんですよ。
2007年01月30日

●おとなしいと言ったら

昨日、海がおとなしいと言った。
今朝、いつものポイントに言ったら、やっぱり今日も、海はおとなしかった。
これでは、入っても何もできないな、そう思ったボクは、ひとつ南のポイントに向かった。

「ん・・・」、おとなしくなかった。
かなりアウトで肩サイズのいい波がブレイクしている。
思い通りにいかないものだ、いい方にも悪い方にも。
久しぶりに心の底から思った、「サーフィンっていいなぁ」。

2007年01月29日

●真冬だというのに

真冬だというのに、海がおとなしい。静かなのとは違う、妙におとなしいのだ。
暖かな水温を求めて来るサーファーの数は多いのだが、肝心の波がない。
これも不都合な真実なのだろうか。

「ここの海はちがう。あれは最高の存在だ。その発展の過程で、神になるチャンスを通りこしてしまって、早くから自己の殻のなかに閉じこもってしまった存在だ。ここの海は、たとえて言えば、仙人だ。宇宙の世捨人だよ。決して宇宙の神なんかじゃない・・・。」スタニスワフ・レム「ソラリスの陽のもとに
2007年01月24日

●精神を超える肉体の活動、燃焼がある。

今日は偉大なるスキーヤーにして、天才縄文画家・太郎さんの言葉を、傑作「挑戦するスキー」から。

「人間は運命にぶつかっている時に、逆に全身すべてがカラになる歓びを覚える。カラになっている時にこそ逆に全身が充実するのだ。
 生・死にただダイレクトに対している。なま身をぶつけ死と対面する。こういうチャンスは日常生活ではほとんど考えられない。スキーはピタッとそれに答えてくれるのだ。初心者の時から、危険に賭ける。それは精神だ。それと同時に、いわゆる精神を超える肉体の活動、燃焼がある。(46歳からのスキー)」
2007年01月19日

●エネルギーはそのままの状態でそこにある

今日もサーフィンにまつわる素晴らしい文章を紹介したい。ダニエル・デュエインの小説「コートインサイド―カリフォルニアの海が教えてくれた」から。

「ビーチに足を踏み入れると」、彼はいった。

「すでに自然に包まれている。自然はあいまいに存在することも、中途半端に存在することもない。大白然のエネルギーすべてが、まさにそこにあるのだ」

--- 彼はそういって、風が彫りだした大きな波のラインを指さした ---

「混沌の中の、人間の手で汚されていない幾何学だ。そのエネルギーを弱めたり、変えたりしてしまうものは何もない。エネルギーはそのままの状態でそこにあるのだ。ビーチを歩いたり、アシカと目を合わせるだけでも、そのエネルギーは伝わってくる」

2007年01月18日

●そしてそれで充分だ、それ以上は必要ない。

サーフィンが教えてくれるあの感じを言葉にすることは難しいけれど、片岡義男さんのこの一文は秀逸。 片岡義男「宇宙の時間と空間のなかへ」から。
 

「サーフボードの上に腹ばいとなり、その人はパドリングで沖へ出ていく。宇宙の時間と空間のなかへ、その人は超微小距離だけ、入っていく。そしてそれで充分だ、それ以上は必要ない。」

2007年01月16日

●サーフィンやスノー・ボーディングが教えてくれる世界

今年はスキー場にも雪が少ないらしい。新しいスペースを持った関係で、今年は雪山には行けそうにもない。毎日サーフィンができるんだから、それはそれで充分幸せなんだけれど、やっぱり何㎞も続くあのドライブ感も忘れられない・・・。

2002年、菅平でヘリ・ボーディングを体験した後のボクの日記から。

 友人たちによく、アニミズムやシンプル・ライフなどとサーフィンやスノー・ボーディングなどとの関係について「どう関係があるのかわからない」、「体育会系?」、「環境破壊!」などと言われる。でもそうじゃないんだ。ボクが「からだで思想する」という表現を使うように、自然の中で行うエクストリーム・スポーツやアウトドアでの体験は、何事をもフラットに均一化しようとする脳的な世界からボクたちを解放し、からだ本来が持つ原始感覚の世界への回帰をうながしてくれる。足裏の微妙な感覚を瞬時に判断した素早いアクションは、からだ自身が判断して、からだ自身が行っていることなのだ。そしてそこで得られる感覚は、瞑想的でアニミスティックで、ときにシャーマニックなものだ。スノー・ボーディングの本来のフィールドはスキー場ではなく、自らの足でハイクアップしてこそのバックカントリーだと思うし、大きな波を楽しむためには自らのパドリングでその向こうへとたどり着かなくてはならない。そのことさえ忘れなければ、サーフィンやスノー・ボーディングが教えてくれる世界は間違いなく正しいものだと、ボクは思う。
2007年01月14日

●宇宙そのものである私

今日も合気道に関する言葉を紹介したい。
昭和32年に出版された「合気道」から、合気道創始者・植芝翁先生の言葉。

 合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ己を宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。

 私はこのことを、武を通じて悟った。

 いかなる速技で、敵がおそいかかっても、私は敗れない。それは、私の技が、敵の技より速いからではない。これは、速い、おそいの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。

 敵が、「宇宙そのものである私」とあらそおうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争おうとという気持をおこした瞬間に、敵はすでに敗れているのだ。

 そこには、速いとか、おそいとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。

 合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。

こんな言葉を聞かされたら、誰だって合気道を始めようと思うんじゃないかな。

2007年01月13日

●見ておかないと駄目

昨日、気になることがあって、読み返した「高岡英夫の極意要談―「秘伝」から「極意」へ至る階梯を明らかに」の中の養神館合気道宗家・塩田剛三先生の言葉を。

高岡
今、基本というお話が出たのですが、植芝先生の時代には基本という概念はないですよね。

塩田
ないです。ええ、基本はないです。

高岡
そこで基本を作られたのは塩田先生のお考えですよね。

塩田
まあ、私なりの考えですけど。先生のあらゆる面における行動をよく見ないといかん。植芝先生の重心の移動にしろ、体の変更にしろ、あらゆる面の行動をよく見たことが根本だと思います。お供をしているときにお歩きになるときの状態をじっくり見ておきまして、そして右へ足を出したら左足はどうなっているいるか、階段を昇られているときはどうなっているかということをよく見る。そういうことを見ておかないと駄目だと思いますね。

「基本はない」といのもスゴイし、「あらゆる面の行動をよく見たことが根本」というのもまたスゴイ。

2007年01月11日

●するんじゃない、なるんだ。

ボクがサーフィンをしている理由は、すべてジェリー・ロペスという人がいたから・・・。
この人が語っていることは、どういうことなのだろう、それを自ら体験したくて、ボクはサーフィンを始めた。


テレビ「彼らの海Ⅲ サーフィンの神様に出会う旅」から、ジェリー・ロペスの素晴らしい言葉を。

上手になるということは、君自身がサーフィンになることだ。

頭の中だけでなく、すべてがサーフィンになること。

君自身が海の一部になり、君の内部が波や海やすべて(自然)と繋がること。

そのための方法は、そういう存在になることなんだ。

サーフィンはするんじゃない、なるんだ。

(元エントリー 「するんじゃない、なるんだ。」)

2007年01月07日

●良い姿勢を習慣づけるために次の点に注意すること。

ブルース・リーの言葉、「魂の武器 」より。


良い姿勢を習慣づけるために次の点に注意すること。


(1)重心を下げる


(2)両足の間に自然な歩幅を残しておく


(3)足の裏の親指のつけ根のふくらみで体重をささえるようにする


(4)ランニングの際も膝をいくらか曲げる


(5)繊細ですばやい動作の際も重心を保つ




ブルース・リー 「魂の武器」

(元エントリー 「良い姿勢を習慣づける」)