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2010年09月18日

●自らの欲望と現在のような楽なライフスタイルへの中毒

会期が残りわずかで、今日を逃すと行けそうにないことに気づき、上野の科博へ、「大哺乳類展」の第二弾「海のなかまたち」を見に行ってきた。

上野公園は子どもの頃から毎日のように過ごした場所だけど、この十年あまりはずいぶん遠いところになっていた。
思い立ってすぐいけるようになったのも、ハイウェイとアクアラインのおかげ、山砂採取に反対する自分とその恩恵を享受する自分、自分の中にも文明の対立がはっきりとある。

海の哺乳類といっても、クジラの仲間、セイウチの仲間、マナティの仲間しかいないためか、「陸の仲間たち」と比べてもずいぶんとマニアックな展示となっていて、学ぶことも非常に多かった。

ヨウスコウカワイルカが絶滅し、さらに海に暮らす哺乳類の仲間が減った。
ボクたちのライフスタイルが絶滅の直接要因となったことは疑いようがない。
地球誕生から現在まで、今のボクたちのような生き方を選んだ種はボクたち人間しかいない。
ボクたち人間だって、最初からこんなライフスタイルで暮らしていたわけではない。
先住民と言われる人たちは、ボクたちのそれとは違う「ひとつ前の生き方」を営々と続けてきた。
違うのは、ボクたちだけなんだ。


 自らの欲望と現在のような楽なライフスタイルへの中毒、あるいはささいな違いに起因する人間の集団間の全面戦争によって私たちが自らを滅ぼすのであれば、それはそれなりに理解できる。というのも、それが人間の生き方が持つ大きな欠陥の一つであるということが理解できるからである。その可能性については心の準備もできている。だが、私が我慢できないのは人間が他の生き物たちも道連れにするかもしれないことだ。このことは私がこれまでに感じたことのないような強い怒りで私の心をいっぱいにする。それは私の心の中にある火山が噴火して溶岩が流れ出るかのように私を圧倒する。過ちはどうしても起きるものだが、そのような過ちは悲しみを超えている ー 常軌を逸した全く許すことのできないものだ。それほど非常識なことができる種の一員にはなりたくないものだ。どういう名のもとでそれが行われるかというのはどうでもいいことだ。どれほど真剣に自らの使命を考えているかも関係ない。とにもかくにも愚かすぎて許すことのできないことだ。

ロジャー・ペイン「クジラたちの唄」 

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