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2009年05月21日

●房総半島の森や大地、そして石器時代からこの土地に生きてきた先人たちに

今日は、知事選後発の県交渉のために県庁へ。
「公務多忙」のため、肝心の森田知事との面談はかなわなかったが、県商工労働部長と面談することができた。

ボクは、要望書の代わりに、昨年のシンポジウムでの集会宣言をを読み上げ、申し入れに代えた。
面談冒頭、それを受けて商工労働部長が、「自分は○○の出身だが、小さい頃親と一緒に薪を取りに入った山が、今はもう無い。必要な山砂採取もあると思うが、個人的には悲しい」と語ったのがとても印象的だった。


鬼泪山国有林を考えるシンポジウム 集会宣言

今、鬼泪山に広がる国有林が山砂の採取のためにその姿を消そうとしています。

私たちは、そのことに心を痛め、なんとかして止めたいと思っています。

けれど、山砂業者の方々や、推進派の議員を糾弾するつもりはありません。

これは、私たち自身の問題であり、私たちのライフスタイルや、

私たちの文明の問題だと思うからです。

安房から都心に向かうときに高速道路から見える、

山砂採取によって姿を消し、砂漠のようになった浅間山の跡地、

そして、アクアライン建設のために、山肌を大きく削られた鬼泪山の姿。

この光景を目にしたときに覚える違和感はいったいどこから来るものでしょうか。

 
気がつけば、あそこにもここにも、無惨に切り刻まれた山々の姿がいっぱいです。

今回の鬼泪山国有林の問題にストップがかけられたとしても、

問題の根本に目を向けない限り、代わりにどこか他の山が削られることでしょう。

この問題は、 私たち自身の問題であり、

千葉県全体、そして日本全国の問題なのです。

 
私たちが想像もできない長い時間をかけて育まれた大地。

その大地が、私たちにとってはまさしく母親のような存在であるということ。

プエブロ・インディアンの女性は、こう言います。

「土器の土を大地から分けてもらう時に、彼女の許しを乞うんです。」

 
私たちは利便性を追求するあまり、この惑星(ほし)でどう生きればよいのか、

という、なによりも大切なことを忘れてしまったのかもしれません。

 
私たちが今、忘れてしまった大切なことを思い出すためにも、

この鬼泪山国有林の問題を、私たち自身の問題として考えて行きたいと思います。

子や孫、さらにその子や孫たち・・・、私たちに続く世代のためにも、

房総半島の森や大地、そして石器時代からこの土地に生きてきた先人たちに

最大限の尊敬を保ち続けることをここに誓い、

安房・鬼泪山国有林を考えるシンポジウムの集会宣言とします。

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