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2009年03月04日

●現実を受け入れないかぎり自由を手にすることができない

 「里の在処」「戦争という仕事」などの内山節さんの新著「怯えの時代」が良かった。


 現代人は確かに自由なのだと思う。もちろん世界のさまざまなところに、自由を圧殺された人々がいることを私は知っているし、それが国内問題であることも知っている。しかし、あえて私は現代人は自由だという。なぜなら、現代の自由は、現実を受け入れる他なかった喪失の先に現れてくる自由でしかないからだ。私たちには携帯でメールを打ちつづける自由がある。テレビのチャンネルを思うがままに変える自由がある。今日の夕食を好きなように決める自由がある。ただしそれは携帯電話がつくりだしたシステムを受け入れることによってだ。テレビというメディアを受け入れることによって、だ。サイフの中身という現実を受け入れることに、よって、だ。
 現実を受け入れないかぎり自由を手にすることができないという包囲された世界のなかの自由が、私たちにはある。そして現実を受け入れたとき手にしなければいけないもうひとつのものは、喪失。その代償のもとに獲得されたのが現代人の自由。

怯えの時代」 内山節

 これから私たちは「連帯」という言葉を少しずつ取り戻していくことになるだろう。
そこからしか未来は語れないからである。何と連帯するのか。連帯の意味とは何なのか。

怯えの時代」 内山節


 「恐慌前夜」ともいえる今、システムに頼らずに生きる(離脱して生きる)ためにも、一読をオススメする。

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