
安房から上総に抜けると、突如として無惨に削られた山の姿が現れる。
鹿野山周辺の異様な景色は、見る者に強烈な違和感を否応なく与える。
千葉の山は長い間、山砂採取のために無惨に削り取られ、かわりに残土や産廃が運び込まれてきた。
千葉県中西部では、この四〇年間に約六億立方メートル、つまり一二億トンの山砂を採取して、首都圏に供給してきた。その山砂で東京だけでも一三〇〇を越す高層ビルが建ち、東京湾の五分の一が埋め立てられ、その埋め立て地には「京浜」「京葉」という世界有数の工業地帯や三つの製鉄所、臨海副都心、羽田飛行場、東京、横浜、千葉などの港、十五万人がすむ千葉海浜ニュータウン、ディズニーランドなどが出現した。
しかしバブル景気が終わってみると、この地方からは山がいくつも消えていた。そして何千ヘクタールという更地や断崖がいたるところに放置されたが、やがてそこへ首都圏からの膨大な量の残土や産業廃棄物が運び込まれ、以前の砂山と同じ大きさの廃棄物の山が築かれ、そこからは有害な物質が検出されている。
佐久間充「山が消えた―残土・産廃戦争 (岩波新書)
」(2002年)
これは「差別」だ。そこがかつて阿久留王らの大地であったから、その大地を根こそぎ奪いとろうとしているのだとしか思えない。村すべてが縄文遺跡のような六ヶ所村に再処理工場を建設しようとするのと同じマインドが、ここ房総半島の大地においても同じように働いているのだ。
鬼泪山(きなだやま)の山名にある「鬼」とは半島の先住民の長である阿久留王のことだ。鬼泪山の隣にあった浅間山は、山砂採取によりすでにその姿もない。かろうじて残る山々は、国有林や県有林である。私有地であれば、私有権が勝るのがこの国だ。ここからここと線を引き、「自分」の土地だからどう使おうが勝手だ、という論理が、この国では正論とされる。でもそれは、狂っている。私有地を削り取り、すっかり姿を消してしまったら、今度は、国有地を削ろうと、国有林の払い下げ申請をしたという。そんな暴挙を許してはいけない。絶対に許してはいけない。