●チベットで暴力が続くなら、わたしは退位する
AFPの記事から。
インド北部のダラムサラで記者会見するチベット亡命政府の最高指導者ダライ・ラマ14世。「チベットで暴力が続くなら、わたしは退位する」と述べ、指導者の地位を辞する考えを表明した(18日)【AFP=時事】
2008年3月17日、イタリア・ローマ(Rome)で、中国チベット(Tibet)自治区ラサ(Lhasa)で起きた騒乱の鎮圧に抗議するチベット独立運動の支持者。(c)AFP/FILIPPO MONTEFORTE
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AFPの記事から。
インド北部のダラムサラで記者会見するチベット亡命政府の最高指導者ダライ・ラマ14世。「チベットで暴力が続くなら、わたしは退位する」と述べ、指導者の地位を辞する考えを表明した(18日)【AFP=時事】
今、ビルマで起きていることを君は知っているだろうか?。
今、チベットで起きていることを君は知っているだろうか?。
今、ガザで起きていることを君は知っているだろうか?。
今、六ヶ所村で起きていることを君は知っているだろうか?。
ボクたちが普段何気なくしている買いものや、息抜きに飲むスターバックスのカフェラテが、
クラスター爆弾や地雷、ダム開発や無用な環境破壊に加担しているとしたら、君はどう思う?。
君がもし貯金ということをしているとして(もちろんホントにわずかかもしれないけれど)、
そのことが原子力発電所の建設や、ミサイルの製造に加担しているとしたら、君はどう思う?。
ボクの大好きなアラン・ケイの言葉に、「未来を予測する最良の方法は、未来を発明することである」というのがある。
ボクがことあるごとに引用するから、君も(すでに)知っているかもしれない。
じゃあ、彼がそれを自ら補足したこの言葉を、聞いたことがあるだろうか?。
「未来はただそこにあるのではない。未来は我々が決めるものであり、
宇宙の既知の法則に違反しない範囲で望んだ方向に向かわせることができる」
今、この惑星は混乱している。それは、紛れもない事実だ。
君はその混乱を望んでいるだろうか?。
君は戦争をしたいだろうか?。
君は環境破壊を推し進めたいだろうか?。
答えは聞くまでもないだろう。
君だって思いは同じはずだ。ボクたちの未来はボクたち自身で決める。
だから一緒に、戦争をやめさせ、環境破壊をくいとめ、新しい社会のつくり方を学ぼう。
「戦争をやめさせ環境破壊をくいとめる新しい社会のつくり方」
「おカネで世界を変える30の方法」「世界から貧しさをなくす30の方法」
「戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法」などの著作で、
ボクたちにどうやって世界を見るのかを教えてくれた田中優さんが、4月5日、南房総・館山に来て話をしてくれる。
こんな機会は滅多にはない。この貴重なチャンスをどうか逃さないでほしい。
講演会当日、会場で君に会えるのを楽しみにしている。
そうだ、合い言葉を決めておこう、スパイ映画みたいでいいよね。
合い言葉は、「戦争をやめさせよう。環境破壊をくいとめよう。新しい社会をつくろう。」だ。
(忘れないように。)
真魚長明 _

田中優講演会 「戦争をやめさせ、環境破壊をくいとめる、新しい社会のつくり方。」
2008年4月5日 13時30分 千葉県南総文化ホール(小ホール) 入場無料
主催:テトラスクロール「電気を止める子どもたち」
協賛:アルソアサロンねむの樹アミー、海猫堂、エコウィンド、NPO法人うず、kitta、シャンティふぁーむ、ピースシード、ブラウンズ・フィールド、蜂人舎、南房総・平和をつくる会(50音順)
入場ご希望の方は、住所・氏名・Eメールアドレス・所属(あれば)・希望枚数をご記入の上、tetrascrollisnotacafe@tetrascroll.info までお知らせください。入場招待券をお送りいたします。
今朝は、今週木曜日の安房ハイキングクラブのハイクに備えて、富山(とみやま)の伊予ガ岳に登った。
安房の妙義山と言われ、千葉県で唯一、「岳」を名に冠する伊予ガ岳は、阿波斉部氏のふるさと、四国の最高峰石鎚山の別名「伊予の大岳」に山名を由来する、ここ安房でも際だった存在の山だ。
鴨川北部の里山からも、その特徴的な姿が目を引く。
頂上の鎖場もこの辺の山では珍しく、機会があったら一度は登ってみてほしい。
安房ハイキングクラブ会報誌「あしあと」に寄せた文章を。
安房ハイキングクラブ発足にあたって 真魚 長明
今から5年前のある原稿にボクはこんなことを書いている。
東京を離れ田舎で暮らしはじめて驚いたのは、人がまるで歩かないことだった。歩いている人を見かけることがほとんどない、歩いているのを見かけるとかならず老人か子供だ。自動車に乗る資格を持つ人間は歩かない、自転車にさえ乗らない。書店やスーパーの駐車場でも数メートル歩くのを惜しんで店の前に乗りつける、そこが駐車スペースではないにもかかわらず。 ボクだって自動車に乗る。ロングボードを持って歩いて海へ行くのは不可能だ。日帰りで新潟や長野にスノーボーディングに行けるのも、モータリゼーションあってこそのことだ。だからこそ、ボクは歩く、そして自転車に乗る。距離や荷物が許す限りそうしている。 歩くことは、動物としての自分が本来移動できるスピードを思い出させてくれる。その身体感覚を忘れてはいけない、しっかりと身体の中に確固たる感覚として焼きつけなくてはいけない。すべてはその身体感覚から始まる・・・・、歩いて、自転車で、スプートニクで・・・。
少しばかり恥ずかしさもあるが、これを書いた思いは今も変わらない。いや、かえって強くなっている。六ヶ所村再処理工場に代表される核の問題、ピークオイルなどで考えざるを得ないエネルギーの問題、そうした問題すべての根源にあるボクたちの文明のこと。今、ボクたちが「歩く」ことには、5年前より大きな意味があるよう思う。一歩一歩歩くことは、ビルマの僧侶がそうしたのと同じように、「抵抗運動」なのだ。そしてまた、歩くことは同時に、内省的で瞑想的な時間をも与えてくれる。一歩一歩ただ歩く。ウォーキング・メディテーションを提唱するティク・ナット・ハン師はこう言っている。「ふだんの生活の中でわたしたちはいつも駆り立てられているように感じています。せきたてられ、急がねばと思います。そのくせ、そんなに急いでどこへ行くのかと自分に問うことはめったにありません。歩く瞑想はふつう戸外で行いますがいつまでにどこへ行くといった目標はいっさいありません。歩く瞑想の目的は歩く瞑想そのものだからです。重要なのはどこかへ行くことではなく歩くことそれ自体です。」
抵抗としての歩き、そして瞑想としての歩き。安房の低い山々はこの二つの歩きに最適だろう。そのことに気づいたら・・・、さあ、今すぐ歩きだそう!。