●生きるために必要なことを学ぶことを忘れていった
2007年もあと少し、ひとり暮らしの大晦日は、やることがいっぱいでなかなかに忙しい。
けれど、当たり前のことを当たり前にすること、きとんと食べる、きちんと暮らすことこそ、今のシステムの中では、抵抗の運動なのだと、今ボクは強く思っている。
今年、いちばん刺激を受けた一冊の本をもう一度紹介したい。
北山耕平さんの「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ」だ。現在のシステムの中に「日本人」として組み込まれているボクたちが、「日本」という国にではなく、母なる「日本列島」と再接続するために、重要な一冊だ。
日本列島に生きる人たちが、時が大いなる円環を描いて万物が再生し自然と共存する世界を外れ、一万年かもしくはそれ以上続いた長い夢見の時間(ドリーム・タイム)を離れて、現在に通じる時の直線がジグザグを描いて続く、限定された危うい生き方を選択するのは、この国の歴史が文字で書かれはじめたときあたりからだから、かれこれもう千年近く前のことになる。人は文字で書かれたものを読むようになったかわりに、それまでのように自然を本のように読み、そこから生きるために必要なことを学ぶことを忘れていった。自然の法という共通に守るものがなくなったあとは、スピリチュアルな力と同時に平和も失われて、人と人が殺しあい、国と国が戦争をしあう、いつ果てるともない争いともめ事が続くようになった。そしてそれが行き着くところで、人は誰も自然の声に耳を傾けなくなり、自然の法のことなどに関心を抱かなくなってバランスを失ってしまう。
「スピリットの帰還ーまえがきにかえて」』
六ヶ所村の再処理工場の問題も、ピークオイルも、農薬や化学物質も、プラスチックゴミも、すべては同じところに源を持つ問題なのだ。すべては、生き方の問題だ。ボクらがどんな文明を選択してきたのかということなのだ。これ以上バランスを失ったら、きっとボクらは立ち続けることができなくなるだろう。
だから、今、この地点で何を考え、どう行動するのかが大切になるのだ。
今ここ。
今ここ。




