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2007年09月27日

●なに国家もそったらものも有るかってッ。

 下北半島では今、エネルギー政策の名のもと、「ただ生きているだけ」の人々が、「別の生き方を押しつけ」られている。その現実を描いた「六ヶ所村ラプソディー」を大スクリーンで見ていて、「生き方を押しつけられる」ということがどれほど苦しいことなのかを、改めて考えていた。

 別の「生き方を押しつけられる」ということ、西ショショーニでも、オーストラリアでも、世界中のいたる所でこれと同じことが、今でも起きている。そしてそのことは、この惑星の上でずっとずっとくり返されてきたことなのだろう。この日本列島の上でも、縄文と弥生という、二つの違う生き方を持った人々の間で、それこそ無数にあったことが想像できる。

 これこそが「差別」なのだ。

 このポイント抜きでは、ボクたちは先に進めそうもない。

 むつ小川原開発計画地内に、買収に応じることなくただ1軒残る農家、小泉金吾さん(78)の一代記『われ1粒の籾なれど』より、魂の言葉を。

 今はなも銃で殺す訳でないとすれば、必ず金銭で支配するという世の中だから。金さえあれば何でも出来るとな。だから、なんぼ民主主義と言っても、国家のな、国策なんて、そんなもの有るはずねえって。中さ入れば、戦前から財閥が仕切っているの。ここの開発だってな。当時、用地の北は三井不動産と、南は三菱地所と分けて、買収していったんでしょ。ホラ三井と三菱だ。内実さ入れば全部金銭だって。国民から集めた金で、寄ってたかってたらい回ししているだけなんですよ。たったそれだけなのだ。最後は誰も責任とる人ねえんですよ、何のもんでも。大臣やったって一ヶ月で辞めれば終わりでしょ。はァ、辞職すればなんのことはねえ。責任も何も無くなってしまう。何が国策なのよ。ちょっとすれば国家的事業だとかって、勝手なもんだな。なに国家もそったらものも有るかってッ。

「聞き書き 小泉金吾 われ一粒の籾なれど」

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