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2007年08月31日

●われらすべての田園とわれらのすべての生活を

 電気を止める子どもたち「六ヶ所村ラプソディー」上映会まで、あと三週間と少し。ひとりでも多くの人に、「メディアが伝えないことがある」ことを知ってほしいという思いで、チラシやポスターを配り歩いている。多くの人たちの好意的な反応に励まされるが、「微妙だねぇ」とか「わかるけどなぁ」という、独特の反応もまたある。その反応はいったいどこから来るのだろう?。


 ひとことでいってしまえば「無関心」ということなのだろう。だけど、その「無関心」が一番キケンなのだと、ボクは思う。誰かの言っている「美しい国」をつくるには、その「無関心」がかかせないはずだ。考えてみれば、すでに六ヶ所に核燃再処理工場が建っていることも、「無関心」が原因だろう。どっかの国の戦争、電気はあって当たり前、そうはいっても現実は・・・、そんなしたり顔の無関心が今の混乱を作ってきた。(もちろんボクだって加害者だ。)

 南房総に暮らす多くの人に呼びかけたい。ボクたちが暮らす房総半島の母なる自然に目を向けてほしい。足下の大地を、海を、川を、もう一度見つめてほしい。もう一度その、大地との、海との、川との、健全な関係を回復するために、ボクたちはどうしたらいいのか、考えてみてほしい。


wadaura1964.jpg
(c) CHIKA KOMIYA

 ここに一枚の写真がある。テトラスクロール前の岬から、現在の和田浦海水浴場、そして、和田浦のサーフポイントが写されている。撮られたのは1964年、ボクが生まれる前の年だ。

 この写真から40年あまり、今、ビーチは痩せてしまい、景色は一変している。

 けれど、まだ、この海で泳げるし、潜ることもできる。もちろんサーフィンだってできる。

 けれど、六ヶ所核燃再処理工場が稼働したら、来年は「放射能汚染・遊泳禁止」になるだろう。


・・・・おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな四次元の芸術に創りあげようではないか・・・・

宮沢賢治「農民芸術概論」

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