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2007年07月01日

●観相は表現によって深まり、表現は観相とともに深まる。

テトラスクロールが一周年を迎える11月に向け、ひっそりとしたサウンド・インスタレーションを制作しようと思い、このところいろいろと考えている。ああでもない、こうでもない。ん。うん。思いは巡り、考えは交錯する。

 そんなとき、いつも目を通す、岩田先生の一文を。


 ここには自然と文明の世界がある。
そこには非自然、非文明の世界がある。
 二つの世界のあいだには壁がある。しかし、時として ー それが時の誕生なのであるが ー そこに対応という窓があくことがある。いや、実は、窓があいたとき、対応のところにおいて、二つの世界が互いに見えてくるのである。その時、その所において、むこうの世界が誕生し、こちらの世界が誕生するのである。そこが、わが創造の原点である。わがいのちの出所である。カミと出逢うところでもある。二つの世界は、そこにおいて、いや、ここにおいて、実は、ひとつの世界なのであった。
 さて、われわれはむこう側の世界の消息を知ると、それを何とかしてこちら側の世界につたえたいと思うようになる。いや、むこう側の世界を見ることと、それをこちら側につたえること、観相と表現とは離れがたく結びついているのである。観相は表現によって深まり、表現は観相とともに深まる。つまり一対一対応は、対応の成立とともに表現の世界に移行するのである。それが創造ということである。

岩田慶治「草木虫魚の人類学―アニミズムの世界

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