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2007年07月31日

●水に浮くことの効用

 今朝の海もフラット、カメラを持って海へ。

 浮いたり、潜ったり。
 潜ったり、浮いたり。

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水に浮くことの効用

あおむけになって水に浮いていると
からだのアンバランスが修正され
いつの間にか姿勢がよくなります。


北山耕平「自然のレッスン

2007年07月30日

●電気を止める子どもたちVol.2「六ヶ所村ラプソディー」上映会のお知らせ

テトラスクロールの新しい取り組み「電気を止める子どもたち」の第二弾イベントが決まりました。
ちょっと冒険ですが、千葉県南総文化ホール(小ホール)での「六ヶ所村ラプソディー」の上映会です。

2007年9月24日(祝)14時〜(予定)


TETRASCROLL (テトラスクロール)
南房総市和田町和田447 0470-47-5822  www.tetrascroll.info

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●すべての海岸で、過去と未来がくり返されている。

 今朝もうねりはなく、真夏の海はサーファーには嬉しくはない。こんなときは、ないものを欲しがるより(台風5号[USAGI]のうねりが届くまで)、気分を変えてシュノーケリングを楽しもう。マスク、シュノーケル、フィン。たった三つの道具が、今まで知らなかった豊穣な生命の世界を教えてくれる。

 すべての海岸で、過去と未来がくり返されている。時の流れの中で、あるものは消え失せ、過ぎ去ったものが姿を変えて現れてくる。海の永遠のリズム ーそれは潮の干満であり、打ち寄せる波であり、潮の流れである。ー の中で、生命は形づくられ、変えられ、支配されつつ、過去から未来へと無情に流れていく。なぜならば、時の流れの中で、海辺の形が変わると、それにつれて生命の様相も変化するからである。それは決して静的なものではなく、年ごとに変わっていく。海が新しい岸辺をつくりだすたびに、生物が波のように押し寄せ、足がかりを探し、ついにかれらの社会をつくりあげる。そして、私たちは生物が海にあるすべての有形な存在として、一つの確実な力であると感じとるのだ。その力は、満ちてくる潮によって、決して押し潰されたり、迂回させられたりすることがないほど強靱で、しかも目的をもっているのである。

レイチェル・カーソン「海辺―生命のふるさと

 

2007年07月29日

●自らの欲望と現在のような楽なライフスタイルへの中毒

 今朝も遠く六ヶ所と繋がった海で1時間ほどサーフィン。真夏の海は、かろうじてテイクオフができる静かな海だ。インサイドのショアブレイクで子どものように無邪気に遊ぶしかない。

 10分ほどして、少し沖に、スナメリが泳いでいることに気づいた。ボクとの距離は30メートルくらいだろうか。ボクはパドルで彼らに近づいていく。彼らも、魚を追ってゆっくりと沖へ向かっている。真夏の、非日常的な賑やかな海で、ボクと彼らだけしかいないような、至福の時間だ。
 ボクが何をしているのか、他の誰にも知られていない。

 ゆっくりと泳ぐ彼らを見ていると、ついつい考えてしまう。
 いうまでもなく、ここは、彼らの海だ。彼らは海を汚すこともないし、もちろん陸に上がって、廃棄物を積み上げるようなことはしない。だけど、ボクたち人間はというと・・・。

 今、本気で考えなければ、きっと、取り返しがつかなくなる。そう、今、すぐに・・・。


 自らの欲望と現在のような楽なライフスタイルへの中毒、あるいはささいな違いに起因する人間の集団間の全面戦争によって私たちが自らを滅ぼすのであれば、それはそれなりに理解できる。というのも、それが人間の生き方が持つ大きな欠陥の一つであるということが理解できるからである。その可能性については心の準備もできている。だが、私が我慢できないのは人間が他の生き物たちも道連れにするかもしれないことだ。このことは私がこれまでに感じたことのないような強い怒りで私の心をいっぱいにする。それは私の心の中にある火山が噴火して溶岩が流れ出るかのように私を圧倒する。過ちはどうしても起きるものだが、そのような過ちは悲しみを超えている ー 常軌を逸した全く許すことのできないものだ。それほど非常識なことができる種の一員にはなりたくないものだ。どういう名のもとでそれが行われるかというのはどうでもいいことだ。どれほど真剣に自らの使命を考えているかも関係ない。とにもかくにも愚かすぎて許すことのできないことだ。

ロジャー・ペイン「クジラたちの唄」 

2007年07月28日

●ほかの世界も自分の一部なのだと考えなければならないのです

ダライ・ラマ法王猊下のオーストラリアでの企業家向け講演のレポート「21世紀は一人では行けない」から。


"我々と彼ら"という考えはもう通用しません。

ほかの世界も自分の一部なのだと考えなければならないのです。
わたしたちの認識と新しい現実との間にギャップがあるのは、わたしたちが未だに前世紀の考えを元に生きようとしているからであり、そして間違った認識は間違った方法を生みだしてしまいます。
2007年07月25日

●電気を止める子どもたちVol.1「ホピの予言2004」上映会のお知らせ

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テトラスクロールの新しい取り組み「電気を止める子どもたち」の第一弾イベントが決まりました。現在、第二弾イベント(「六ヶ所村ラプソディー」上映会)も調整中です。ご期待ください。

電気を止める子どもたちVol.1「ホピの予言2004」上映会
2007年8月25日(土)15時〜
8月26日(日)13時〜・17時〜 (全3回)
開場各回30分前 入場料1000円(小学生以下無料 / 要予約)



TETRASCROLL (テトラスクロール)
南房総市和田町和田447 0470-47-5822  www.tetrascroll.info

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2007年07月24日

●「家紋トリップショー」のお知らせ

テトラスクロールから、次回ギャラリー企画のお知らせ。

吉良康矢展 「家紋トリップショー」
2007年8月9日〜8月21日まで

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「家紋トリップショー」関連イベント
「家紋のはなし」 講師 : 千鹿野 茂 先生 (日本家紋研究会会長)
 (千鹿野茂先生 : 1927年生。家紋研究家。40年にわたり、家紋研究一筋に打ち込む。現在、日本家紋研究会会長。「日本家紋総鑑」「寛政重修諸家譜家紋」「家紋物語」「家紋でたどるあなたの家系 正・続編」など著書多数。)

2007年8月17日(金) 13時スタート (12時30分オープン) ¥1500(要予約)
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2007年07月23日

●大きな不安の声が挙がるだろう

 今朝もいつもと同じように、1時間近くサーフィンをした。
ここ南房総の海は、千葉とは思えないほど美しい。ほんとうにビックリするほど美しい。
だけど同時に、この海の水は遠く青森・六ヶ所へとつながってもいる。

 六ヶ所再処理工場からの放射能を含んだ廃液はどこへ流れていくのか。それを調査するナガスクジラ・プロジェクトの結果が明らかになり始めている。再処理工場の排水口予定地点から流された1万枚の調査票(ハガキ)は各地で拾われて送り返され、11月1日現在で100枚を超えた。遠くは東京湾の入り口である房総半島先端の千葉県千倉町、北は北海道の苫小牧まで到達したことがわかった。
 当初、我々は放射能が下北の海岸だけでなく三陸海岸に流れ、その付近を汚染するのではと予想していた。ところが実際の結果が示したのは三陸海岸どころか、ほとんど東京湾付近まで放射能が流れるということであった。特に宮城県、茨城県、千葉県に多くが到着している。漁船の網にかかって拾われたハガキも少なくなかった。日常的な再処理工場の運転で、これだけ広範な海とそこで取れる海産物が汚染されることが事実でもって示された。これらの広範な地域の人々がこのことを知れば、大きな不安の声が挙がるだろう。

六ヶ所再処理止めよう!ナガスクジラ・プロジェクトの回収はがき結果」


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●白熱電球をやめよう

レスたー・ブラウン氏のEarth Policy Instituteリリースより。

BAN THE BULB:
Worldwide Shift from Incandescents to Compact Fluorescents
Could Close 270 Coal-Fired Power Plants


On February 20, 2007, Australia announced it would phase out the sale of inefficient incandescent light bulbs by 2010, replacing them with highly efficient compact fluorescent bulbs that use one fourth as much electricity. If the rest of the world joins Australia in this simple step to sharply cut carbon emissions, the worldwide drop in electricity use would permit the closing of more than 270 coal-fired (500 megawatt) power plants. For the United States, this bulb switch would facilitate shutting down 80 coal-fired plants.


オーストラリアは2010年までに白熱電球の販売をやめることを発表した。他の国々もこの方法をとれば、世界の電力使用量が減り、270カ所以上の石炭火力発電所を止めることができる。


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2007年07月22日

●原因も解決も一人ひとりの内にある。

今日も原子力に関係する言葉を。尊敬するジム・ノルマンの「地球は人間のものではない」から。

 環境の危機は、原因も解決も一人ひとりの内にある。わたしたち自身が地球との関係を変えることで、問題の図式そのものが変わる。自然とつながった行動をとってこそ、わたしたちは自然とつながることができるのである。
 というところで、いくつか七世代後のためのささやかな宣伝をさせていただこう。まず最初の例として、先進諸国の政治指導者たちはいぜん原子力発電の推進に熱を上げているが、原発というのはたかだか三十年ほど電気を起こすために、二十五万年の長きにわたって放射性廃棄物を残すというしろものだ。いっぽうで、ロッキーマウンテン研究所をはじめとする研究機関によると、わたしたち"相互依存者"が個々の、それも法外な電力消費を節約しさえすれば、いま計画されているような原発増設は必要なくなるという。


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●原子力について忘れてはいけない呪文

北山耕平さんのブログ、「Native Heart 地球での生き方を学びなおす探求の旅」より。

原子力について忘れてはいけない呪文(改訂版)

原子力はクリーンエネルギーじゃない。
原子力は安いエネルギーじゃない。
原子力は地球温暖化への解答じゃない。
原子力は安全なものじゃない。
ウラニウム採掘には危険がいっぱい。
核兵器の投げかけた脅威は終わってない。
核廃棄物の問題はずっと未解決のまま。
核施設の誘致はその土地を豊かにしない。

2007年07月20日

●現在全ての発電所が安全に停止しています。

7月16日10時13分頃の発生した地震により、現在全ての発電所が安全に停止しています。

柏崎羽刈原子力発電所ホームページ

「安全に停止しています。」って、何だよ。


ボクたちは原子力産業についての情報がコントロールされた世界に生きている。先日の中越沖地震でも、本当は何が起きているのか、そもそもなぜそこに原発があるのか、安全っていったい何なのか、まるで知らされることがなかった。情報化社会なんていったって、その実態は情報統制社会にほかならないのだ。

もう、このままではいけない。ボクも緊急のアクションをはじめようと思う。

テトラスクロールで、「電気を止める子どもたち」の活動をはじめる。
まずは8月、映画の上映からスタートしたい。詳細が決まり次第、ここでお知らせする。

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2007年07月19日

●「アナザー・グリーン・ワールド」(再掲)

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 テトラスクロールの7月のギャラリー企画は、amma-lua あまるーあ展「アナザー・グリーン・ワールド」(7月19日から8月3日まで)

 あまるーあという女の子は、ひたすら植物を描き続け、その「描く」行為の中で出現してくる、植物の「精」のような存在を愛してやまない。今回の展示では、彼女が見ているそういう世界を、多くの人に知ってもらいたい。

 「アナザー・グリーン・ワールド」というタイトルをつけたが、アナザーなグリーン・ワールドというより、グリーンなアナザー・ワールドだと思ってほしい。

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amma-lua あまるーあ展「アナザー・グリーン・ワールド」7月19日(木) - 8月3日(金)

2007年07月15日

●I wanna live, I wanna give,I've been a miner for a heart of gold

昨夜は、吉祥寺へ。

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ニール・ヤング ハート・オブ・ゴールド ~孤独の旅路~ 」DVDリリース記念の一夜限りのレイトショー、ニール・ヤング、ほんとにカッコイイ。ああ、生きてて良かった。ジョナサン・デミの映像も最高。まるでスポーツ新聞みたいな書き方だけれど、これはもう仕方がないので、あきらめてほしい。

吉祥寺のバウスシアターへ最後に行ったのは、きっと15年以上前、もしかしたら20年近く前だろうか。たしか「ニューヨーク・アート・ムービー・オールナイト」みたいな企画で、ローリー・アンダーソンの作品を見に行ったのが最後だろう。オールナイトで映画を見たのも、あれが最後だったのかもしれない。

そう、あのとき一緒に上映された「ストップ・メイキング・センス」もジョナサン・デミが監督した作品だった。デビッド・バーンとニール・ヤングが、長い長い時間を経て、同じ監督の手によって、ボクの目の前の・・・ひとつのスクリーンに映し出される。偶然というにはあまりにも象徴的、年を重ねるってこういう感じを味わうことなのかなぁ。


I wanna live, I wanna give

I've been a miner for a heart of gold

It's these expressions I never give

That keep me searching for a heart of gold

And I'm getting old

【Niel Young "Heart of gold"】

2007年07月13日

●アメリカ全土に背を向けることにもなる

昨日、ソローとフラーに関したエントリーを書いたが、ソローの言葉がなかったのでいくつか。


 あらゆる自然が自分に対する祝福であり、一瞬一瞬、自分を祝福することができる。いちばん大きな利益と価値というものは、いちばん高いところにあるリアリティなのだ。たぶん、もっとも驚くべき、もっともリアルな事実というものは、人から人へはけっして伝えられないものなのだろう。

ソロー「森の生活―ウォールデン

 秋か冬の真っ最中に、この地を訪れてみるとよい。灯台や漁師の小屋こそまことのホテルであることがわかるだろう。そこに立てばアメリカ全土に背を向けることにもなるのである。

ソロー「コッド岬―海辺の生活

●超微小距離だけ、入っていく

今日は朝からずっと海に。
毎日のことなんだけど、今日はちょっといつもとは違う。
遥か南海上、沖縄に接近中の台風からのうねりが、ここ南房総の海にも届きはじめたからだ。
地球の強大なエネルギーが作り出す台風という波紋の、外側のエッジの部分が、ここ南房総の海に到達し、そのエネルギーが、サーファーにとってかけがえのない時間と空間を与えてくれる。

ある人が「人類は、エネルギーそのものに乗る方法を、サーフィン以外に発明していない。」と言っていたが、ボクもそのもことを強く感じる。アラスカとハワイを行き来するクジラたちが、地球という惑星(ほし)のスケールを身体の感覚として持っているように、サーフィンという「行為」を通して、ボクもまた、遥か南海上にある台風を、身体の感覚として感じることができるのだ。自分の皮膚の延長に、たしかに遥か遠くの台風が在ることを、まぐれもない自分の感覚としてとらえることができる。

そんなのは嘘だ、きっと、そう思う人も多いだろう。嘘だと思うなら、急いで海へ行ってごらん。
(台風の強大なエネルギーがもたらす被害が、可能な限り少なくすむことを祈って。)


サーフボードの上に腹ばいとなり、その人はパドリングで沖へ出ていく。宇宙の時間と空間のなかへ、その人は超微小距離だけ、入っていく。そしてそれで充分だ、それ以上は必要ない。

片岡義男「宇宙の時間と空間のなかへ」」

2007年07月12日

●心は関係性を発見する。(ソローとフラー)

 今日7月12日は、ヘンリー・デヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)(1817)と、リチャード・バックミンスター・フラー(R Buckminster Fuller)(1895)が生まれた日だということを、どれくらいの人が知っているのだろう?。

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 最近よく思うことがある。インターネットという「つながり」と、実際の場所を通した「つながり」。この二つのを「つながり」をうまく使っていくスタイルが、21世紀的な部族の在り方のように思うことがよくある。各地に「再定住」した仲間たちが、ある「きっかけ」を機に集まって、また散っていく。そんなスタイルの可能性をボクは今、強く信じている。

 ソローとフラーという20世紀を代表する知の巨人が同じに日に生まれていたということも、ボクにはなんだかとても意味のあることに思えてしまうのだ。

 「森の生活」や「市民の反抗」などのソローの仕事がボクたちの意識へ果たした大きな力、それはとても「影響」と呼べるような小さなものではない。ソローがいなければ、ガンジーもキング牧師もいなかっただろうし、アウトドアライフやレイブパーティだってなかったかもしれない。

 フラーだってそうだ。日本ではどちらかというとスクエアに思われがちなフラーだけど、彼のぶっ飛んだ感覚がボクらに与えてくれたものが、どれだけ大きなものだったのかなんて、カンタンには言い表せない。「フラーがぼくたちに話したこと」から少し長くなるけれど、大好きな一節を紹介したい。

 私に関するかぎり、私が自分の心(マインド)を発明したわけではない。自分を発明したわけじゃないんだ、また私は、神に対してほんとうに圧倒されている。私は"大いなる知性"の働きに対して絶対の信頼を置いている。私はただ、そんな知性の媒体でありたいと思った。20年後、人々が私なんかじゃなくて神を発見することになったとしても、私はまったく気にしない。いや実際、そうなっていればなんてすばらしいことだろう。
 いいかい、ダーリン。私たちはこの宇宙に、心があるからいるんだよ。腕力があるからじゃない。セントヘレナの噴火を見てごらん。これまで存在してきた全人類の腕力を合わせたより、ずっとすごい力が、たった一秒で表現されている。でもね、人間はカメラを発明し、その全貌をとらえることだってできるんだ。
 心は関係性を発見する。だからこそ、私たちはこの宇宙にいるんだ。関係性を発見するためになんだ。あるいは問題を解決するために・・・・・。私たちがちょっとやり方を変えさえすれば、答えはすでにここにある。
 私はほんの少しだけ関係を発見したが、これが人類の役に立つことを願っている。


ボクらは彼らから何を受け取ったのか。
そして、そのことをボクらはどう活かしていけばいいのか。

新しい生き方を探していくために、
どうか、今日は、二人の巨人に思いを巡らせてほしい。


The Buckminster Fuller Institute!

The Thoreau Society

2007年07月11日

●テトラスクール「はじめてのハーブ」のお知らせ

テトラスクロールでの【あまるーあ展「アナザー グリーン ワールド」】の関連企画として、暮らしにハーブを活かすためのワークショップ、テトラスクール「はじめてのハーブ(全二回)」を開催します。


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「はじめてのハーブ」(講師・遠藤祐子)

7月26日 14時から15時30分 『ハーブってなあに?』
 ハーブティーの基礎 身近なハーブの使い方、育て方 ハーブで夏の健康管理いろいろ
 クラフト作り:夏のブレンドハーブティー

7月31日 10時30分〜12時『フレッシュハーブの使い方』
  バジルソース作り ハーブを使って簡単料理の紹介 クラフト作り:バジルソース作り

参加費 1500円 (小学生 500円・親子でご参加ください) 定員 各回 10名

講師 遠藤祐子
鴨川市内にある農園にてハーブを栽培、Herbal MOMO主宰、
埼玉県内、都内、鴨川市内などでハーブの講習会を実施、JHS上級ハーブインストラクター、
MIC公認 ハーバルセラピスト、グリーンアドバイザー

pdfファイルをダウンロード

お申し込み・お問い合わせ テトラスクロール bookcafe@tetrascroll.info 0470-47-5822

2007年07月10日

●求心的ダイナミズムに彩られた自分という「うたかたなシステム」

 週末の賑やかさほどではないが、夏の海は平日でもやはり騒がしい。一年でいちばん波がなくなる時期に、一年でいちばん多くのサーファーが集まるのだから、ストレスにもなるし、もちろん事故やトラブルもある。サーフィン = 夏、という図式もわからなくはないが、ここ南房総でのオン・シーズンは(台風スウェルをのぞけば)やはり冬なのだ。東北や日本海側に大雪をもたらした低気圧が、やがて北海道東沖に抜け、さらに発達する。そこから届くうねりこそが、ボクたちの待つウィンター・スウェルなのだ。今年はここまで、台風の影響もなく、スモール・コンディションが続いている。いつか来るうねりをひたすら待ち続ける。いつか来るうねりに備え、日々鍛錬を忘れない。質素だけどタイトな食事を摂り、摂生を心がける。(心がけてはいるが、できないこともよくある。)そういう生き方、ライフ・スタイルをサーファーと呼ぶのだと、ボクは思う。


 自分自身とその技量をしっかりと心得て、思い切って大きめの波にチャレンジするときにも自分の技量をわずかに超える程度にして、慎重に一歩ずつ歩むようにしておきさえすれば、それほど大きな事故につながることはまずない。それでも ー これはヒトのあらゆる営みにいえることであるが ー なにかが起こったときには、たとえ自分で気づいていなくとも、なんらかの理由で自分自身やさらに大きな自然のダイナミズムにとってそれが必要だった、と考えるのがもっともバランスのとれたアティチュードだろう。少々荒っぽい言い方になってしまうが、もしどうしても波や道具や他人に責任を押しつけなければならないほど、求心的ダイナミズムに彩られた自分という「うたかたなシステム」に執着しているのであれば、最初から危険をともなうサーフィンなどやらなければいいのである。

「春の海に変性意識が浮上する」吉福伸逸「処女航海―変性意識の海原を行く

2007年07月09日

●自然界のなかのいのちあるものすべてが

昨日、一昨日の【北山耕平氏と共にネイティブの知恵を学ぶ集い「風をひらく」地球で生きるための耳を取り戻す試み 】が、無事終了した。心配された天気も、嘘のように晴れて、ワークショップに最適な心地よい風が吹いてくれた。

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二日目朝の「風をひらく」


 一日目の「風をひらく」を終えた夕食後、焚き火を囲んでのトーク・セッションは、(途中から場所を室内に変えて)深夜におよび、オノ・ヨーコ、ボブ・ディラン、アレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダー、シャーマン・アレクシーなどのも話題は及び、実に興味深いトークが展開された。


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初日夜トーク・セッション
「聞く 見る 覚える わけあう —ネイティブ・ピープルにとって知とはなにか?」



 二日目は、本当に気持ちよく晴れて、風の爽やかな一日となり、これがスピリットのボクたちに対する答えなのだとはっきり確信した。


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二日目朝くすの木の下で「風をひらく」北山氏


 山間部のくすの木から、海沿いのテトラスクロールに場所を移し、午後のトーク・ライブ「われわれは何者なのか 〜 ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ」。「日本列島の上に敷かれた日本という名の絨毯」を剥がし大地とのつながりを回復することを説く北山さんのトークが、「風をひらいた」人々の耳には、とても説得力ある言葉に聞こえたことだろう。


ネイティブ・アメリカンのなかの伝統派とされる人々は、自然界のなかのいのちあるものすべてが、偉大なる精霊の一部であったり、それとつながりがあるだけでなく、スピリットを持っていると信じています。彼らが、太陽や月、星たち、雨、風、水、地を歩くもの、地を這うもの、空を飛ぶもの、水の中を泳ぐもの、根を生やすもの——それが目に見えようが見えまいが、ありとあらゆるすべてのもの——に向かって祈ったり感謝を捧げたりするのも、そのためです。

北山 耕平「なぜ風をひらくのか」

2007年07月07日

●[母なる地球に祈りを]

朝、海から帰って「Native Heart」を。

 今朝のエントリーは「母なる地球に祈りを」、今日7月7日の朝、ホピとホピのエルダーたちのために祈りをあげることを求める、ホピのグランドフアーザー・マーチンのメッセージを紹介している。

ホピのグランドフアーザー・マーチンが、7月7日の朝にホピとホピのエルダーたちのためにちょっとした祈りをあげることを求めている。この祈りは、母なる地球への感謝という形をとってもよいと言うことだ。

このメッセージを受けとめて感じることがあるならば、自分の心の命ずるままに動いてほしいと思う。

 さあ、今日はいよいよ「風をひらく」だ、南房総にどんな風が吹くのか、今から楽しみだ。

2007年07月03日

●合気道と再起動

似ていることに今まで気づかなかった。

どちらも毎日のことなのに・・・。

2007年07月02日

●自分がひとりの、ときには弱さをもあわせもつ存在であること

 いよいよ7月、テトラスクロール下の海水浴場でも、海の家の建設が始まっている。朝夕の海霧も夏のムードを加速させている。

 バタバタと現実に追われ凝った頭には、北山耕平さんの新著「インディアンは笑う」がいい。なんだか少し忘れてしまっていた「感じ」がここにはあって、その「感じ」が妙に心地よい。


 地球に生きるひとりの人間という「心と頭の状態」をなによりも大切にする価値観において、「自分がひとりの人間である」ということは、つまるところ「自分がひとりの、ときには弱さをもあわせもつ存在であること」を知っていることでもある。つまり、われわれは誰もが「神のような存在」などではなく、必ずどこかに弱いところがあり、その弱さがときとしてわたしたちを馬鹿げた行動に走らせるのである。

 → 北山耕平氏と共にネイティブの知恵を学ぶ集い「風をひらく」 いよいよ今週末!!

2007年07月01日

●観相は表現によって深まり、表現は観相とともに深まる。

テトラスクロールが一周年を迎える11月に向け、ひっそりとしたサウンド・インスタレーションを制作しようと思い、このところいろいろと考えている。ああでもない、こうでもない。ん。うん。思いは巡り、考えは交錯する。

 そんなとき、いつも目を通す、岩田先生の一文を。


 ここには自然と文明の世界がある。
そこには非自然、非文明の世界がある。
 二つの世界のあいだには壁がある。しかし、時として ー それが時の誕生なのであるが ー そこに対応という窓があくことがある。いや、実は、窓があいたとき、対応のところにおいて、二つの世界が互いに見えてくるのである。その時、その所において、むこうの世界が誕生し、こちらの世界が誕生するのである。そこが、わが創造の原点である。わがいのちの出所である。カミと出逢うところでもある。二つの世界は、そこにおいて、いや、ここにおいて、実は、ひとつの世界なのであった。
 さて、われわれはむこう側の世界の消息を知ると、それを何とかしてこちら側の世界につたえたいと思うようになる。いや、むこう側の世界を見ることと、それをこちら側につたえること、観相と表現とは離れがたく結びついているのである。観相は表現によって深まり、表現は観相とともに深まる。つまり一対一対応は、対応の成立とともに表現の世界に移行するのである。それが創造ということである。

岩田慶治「草木虫魚の人類学―アニミズムの世界