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2007年05月04日

●ある種の鳥が集まって騒ぎ始めたら

一昨日は首都東京にいたのに、昨日、今日と晴天の下、畑仕事にひたすら精を出す。
テトラスクールの「ワタツクリ」で、子どもたちといち早く播いたワタももう芽を出している。

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先日、サティシュさんが「人類の進化」についての質問に対して、「進化」というと直線的なイメージが強いので、「展開(unfolding)」のほうがいいのではないかと語っていた。例えば、植物の種の中には、すでに成長した姿が内在している、そう、ドングリの中にはすでに大きな樹の姿がしまわれている、あとはそれを「展開」するだけでよい、そう言っていたことが、畑仕事をしていると感覚的によく理解できる。

「農的暮らし」とかではない。unfolding、展開すること。

「教育(education)」の語源となるラテン語、エデュカーレが「引き出す」ことを意味するように、潜在的な能力や様々な可能性を展開することが、ボクたち人間の仕事の大部分なのだ。だから、ボクは野菜やワタを育ててはいない、大いなる自然の贈与の恩恵に、ただただ感謝しながら与るだけなのだ。


 それでは、心身両面を健全にする運動とは、どんなものでしょうか。まことに自然はよくしたもので、心身を同時に使うことができるのです。地球上の大多数の人間は畑仕事をして生きています。農夫は骨の折れる肉体運動をしなくてはなりません。衣食を得るために彼は八〜十時間、時によるとそれ以上働かねばならないからです。そして精神状態も良くないと、能率の良い労働はできません。栽培法の細かいことにもすべて精通し、土や気候についての知識を十分にもち、太陽や月や星の運動に関する十分な知識も必要でしょう。非常に有能な人物でも、そういうことに関してはかなわないほど、農夫は刻々の環境の状態を十分に知っていて、星を見れば方角がわかり、鳥獣の道からいろいろのことを知ることができます。たとえば、ある種の鳥が集まって騒ぎ始めたら雨になるだろうと判断します。彼は自分の仕事に必要な土地や気候のことをよく知っています。子どもを育てるために、『ダルマ・シャーストラ』のこともある程度知らねばなりません。彼は広い戸外で暮らすので、神の偉大さを容易に理解することができます。

 人がみな農夫になれるわけではありませんが、農夫の生活こそ、人間の自然な生活だといえます。人間のこのような自然の生活から離れればは離れるほど、病気に苦しまねばなりません。農夫の生活から教えられるのですが、人間は精神労働も含めて、少なくとも一日に八時間は働くべきです。

畑仕事 M.K.ガンジー「ガンジーの健康論」

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コメント

先日は土おこししていただいて、ありがとうございました。
短い時間でしたが、畑で過ごした充実感は、残念ながら、屋内で働いている時には味わえないものだな~と感じました。
続けられる範囲で畑仕事、おぼえていきたいです。

どういたしまして。

毎日寝起きしてごはんを食べるように、食べ物を自ら植えて収穫することは、当たり前のことです。
声高に叫ばなくても、近所のおばあちゃんたちは皆そうしてます。

それに、何といっても楽しいですからね。

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