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2007年03月21日

●この惑星にあまねくある普遍的な存在だと知ること

ちょうど12年前、ボクは志村ふくみさんの「織と文」を紹介する一文にこう書いている。
 

「織と文」は染織家・志村ふくみの染織と文による作品集だが、そんな枠組みを越えてこの宇宙にあまねく在る生命の輝きに僕たちの意識を運んでくれる。「色は色でない」と語る著者は植物の中に秘められた生命、その生命の輝きを僕たちに眼に見える色として紡ぎ出す。いわば植物の持つ秘められた色が僕たちの眼に見える形として降臨するための依代となっているのである。漁労、狩猟、芸能、陶芸...、考えてみれば見える世界と見えない世界の境界線に見え隠れする生命の輝きを人が依代となることで出現させるのが職であり芸であったはずである。もはやその力は僕たちの中から大きく失われてしまったのかもしれないが、僕はその境界線を見つめていたいし、越えてもいきたい。人間の領域を越えた呪術的ともいえる動物の領域にも心は飛んでいってしまう。

宗教、いや、祈りだってきっとそうだったはずなのだ。それなのに、世界を破滅へと追いやりかねない争いを現代の宗教は続けている。「自分が特別な存在」などではなく、この惑星にあまねくある普遍的な存在だと知ることこそが、宗教的な感情の根源にはあるはずだ。そのことを忘れてはいけない。絶対に。絶対に。

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