●「こういうもの」を、なんだ。
ライブ&ペインティング「魔法のことば」を見ていて、太郎さんのことばを思い出した。(岡本太郎「壁を破る言葉」)
「こういうもの」を表現したい、という最初の衝動がある。
描きたいという衝動じゃない。
「こういうもの」を、なんだ。
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ライブ&ペインティング「魔法のことば」を見ていて、太郎さんのことばを思い出した。(岡本太郎「壁を破る言葉」)
「こういうもの」を表現したい、という最初の衝動がある。
描きたいという衝動じゃない。
「こういうもの」を、なんだ。

今日は、カフェ・テトラスクロールでのライブ&ペインティング「魔法のことば」の日。宮下昌也さん・KATSUさんの素晴らしいパフォーマンスで、テトラスクロールにとって意味ある一日となった。「絵を描く」という行為が、テトラスクロールのある一角を、今日から「ギャラリー」へと変身させてくれた。

これでまたひとつ、テトラスクロールに新たな回転軸が加わったことになる。さあ、この先何が起こるのだろうか?。(今回の宮下さんによる作品「魔法のことば」は、そのままテトラスクロール・ギャラリーにて、ゴールデンウィーク明けまで展示中。)
イベントの模様はこちら。
五木寛之「養生の実技」から。
養生と治療はどこがちがうのか。
人間観というか、思想がちがうのだ。治療という考えかたの背後には人間は本来、調和のとれた理想的な身体をもって生まれてきた、という感覚がある。
機械でいえば、燃料さえ補給してやれば、万事、快調に動くのが当たり前と考えているのだ。そこに異常が生じる。故障をなおすように治療をおこなう。修理が終われば機械はもとどおりに快調に動作する。
私の人間観はそうではない。人間は生まれた日からこわれていく。老いるとは、そういうことだ。しかも、不自然で、非合理な部分も数かぎりなくある。神秘的といえるほどすばらしい働きもそなえながら、同時になんとも情けない幼稚な部分もある。
そこを苦心して、少しでも良いコンディションをたもち、故障をおこさないように工夫するのが、養生ということだろう。
人も年を重ねると、フットワークが鈍くなったり、感が鈍ったり、ケガの治りが遅くなったり、いろいろと老いのはじまりを感じることもある。ボクも今年は42歳、人生の折り返し地点を既に過ぎ、インプットからアウトプット、吸収から整理へとモードはすでに変わり始めている。数年前ならすぐに治ったケガも、思うようには治らくなっている。今さらながら運動前のストレッチの重要さを痛感するほどだ。
だがしかし、人は年を重ねても、恋をする。
それはまるで、高校生の頃と何も変わらないピュアな感情だ。
自分の中に、まだこんな領域が残っていたことに、感動に似たものを感じる。
風の強い岬に立っていろいろ考えごとをしていたら、テトラスクロールの開店コンセプトの一候補になった横光利一「春は馬車に乗って」の一節がふいに浮かんできた。
「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ。」
北山耕平さんの「Native Heart」の「小学校では縄文時代を教えていない」でも紹介されていた、小学校の社会科教科書では、日本の歴史は弥生時代の米作りから始まっているというばかげた事実。
昨日は朝日新聞にも九州大学名誉教授・西谷正教授の「旧石器・縄文なぜ消えた」が掲載されていた。
現在、小学校で使われている教科書を見ると、6年生になって初めて学ぶ日本の歴史は突如、米づくりが始まった弥生時代から説き起こされている。(中略)そこで、小学校6年生の日本歴史の学習は、農業を基盤とする、その後の「歴史の進展に大きな影響を与えた」弥生時代から始められることになった。その結果、弥生時代に先立つ旧石器・縄文時代のことが取り扱われなくなったわけである。
悪い夢でありますように。
ちょうど12年前、ボクは志村ふくみさんの「織と文」を紹介する一文にこう書いている。
「織と文」は染織家・志村ふくみの染織と文による作品集だが、そんな枠組みを越えてこの宇宙にあまねく在る生命の輝きに僕たちの意識を運んでくれる。「色は色でない」と語る著者は植物の中に秘められた生命、その生命の輝きを僕たちに眼に見える色として紡ぎ出す。いわば植物の持つ秘められた色が僕たちの眼に見える形として降臨するための依代となっているのである。漁労、狩猟、芸能、陶芸...、考えてみれば見える世界と見えない世界の境界線に見え隠れする生命の輝きを人が依代となることで出現させるのが職であり芸であったはずである。もはやその力は僕たちの中から大きく失われてしまったのかもしれないが、僕はその境界線を見つめていたいし、越えてもいきたい。人間の領域を越えた呪術的ともいえる動物の領域にも心は飛んでいってしまう。
宗教、いや、祈りだってきっとそうだったはずなのだ。それなのに、世界を破滅へと追いやりかねない争いを現代の宗教は続けている。「自分が特別な存在」などではなく、この惑星にあまねくある普遍的な存在だと知ることこそが、宗教的な感情の根源にはあるはずだ。そのことを忘れてはいけない。絶対に。絶対に。
地下鉄サリン事件から12年、あの朝ボクは、東京へ向かうため首都高速を走っていた。
南房総へ移住してすでに1年半が過ぎていたが、今とは違って否応なく頻繁にある「打ち合わせ」のために100㎞以上離れた東京へ出て行くこともそう珍しいことではなかった。
あの朝も、やはりそうだった。隅田川を越え、都心へと入るあたりで車はまったく進まなくなり、頭上には無数のヘリコプターがぐるぐると飛び続けていた。何かあったのかな?と思い、ラジオをつけ、何か地下鉄で爆発があった模様だというニュースを聞いた。やがて、事件は少しずつ明らかになっていった。いわゆる地下鉄サリン事件だ。
移住前、ボクは東京の都心部に暮らしていた。もし、移住せずにいて、その朝の打ち合わせに向かうとしたら、ボクは小伝馬町駅から日比谷線に乗っていたはずだ。事件を刻々と告げるラジオを聴きながら、身震いをしたのを今も鮮明に覚えている。
事件との接点はそれだけではない。当時ボクを含めた多くの人が、オウム真理教に対して「肯定的」なイメージもっていたことは否定できない。少なくとも、徐々に見え始めた奇妙さに気づくまでは。
ボクたちはこの12年間、何をしてきたのだろう。
昨年末、北山さんに指摘されてそのことに初めて気がついた。
事件以降に物心ついた若者たちがいるのだという事実。
そのことを意識するようになって、気がついたことがある。
大まかにネイティブやオーガニック、身体や精神などに興味を持っているのに、その方向に何が広がっているのかという地図をまるで持ち合わせていない若者がたくさんいるということ。
ボクたちの世代には、宝島や遊など、世界を俯瞰して自分が行く方向を確認させてくれるメディアや大人たちの存在があった。自分さえ望めば、なんだって知ることができた。
しかし、事件は、「そういう世界はありません」と、オルタナティブな思想や哲学をすっぽりと覆い隠してしまったのだ。その隠されてしまった世界を、若い世代に再び地図として示すのはボクたちの役割なんじゃないだろうか。12年間、ボクやボクの周りの人々は暮らしの足元を固めるという「理由」に隠れて、その責任を怠ってきたように思う。ボクにしたってひとりサーフィンに明け暮れて、発する言葉はまるで独り言のようだった。
12年前の朝を思い出しながら、ボクはボクの見てきたことや聞いてきたことを、体験として伝えることの大切さを痛感している。
そう、フラーやリリィはけっして伝説なんかじゃないんだよ。
足の具合もだいぶん良くなってきた。週末の合気道審査まで無理はできないが、週明けからはまたサーファーに戻れそうに思う。
映画「地球交響曲<ガイアシンフォニー>第4番」より、神様ジェリー・ロペスの言葉を。
水が移動しているわけじゃないんです。 エネルギーが動いているんです。 水も少しは移動しますが、 ほとんどの水はその場にとどまっていて、 水の中をガイアの巨大なエネルギーが動いてくるんです。 サーファーは、そのエネルギーに乗り、そこで生きるんです。
富士ゼロックスの企業広報誌「グラフィケーション」の最新号にあった写真家・養豚家、杉田徹さんの写真「名足に生きて」がとてもいい。(特集「ケアリング社会に向けて」もなかなかいい。)
なかでも最終ページにあった、岬で海へ手を合わせる女性を移した一枚が特に素敵だ。

この惑星上のいたるところで営まれてきた暮らしや祈りは、この先どうなってしまうのだろう?、そんな事を思わずにはいられない。
骨化性筋炎と診断されたことで、症状が急に改善されてきた。
現在何が起きているのか、つまり、症状にフォーカスしていく西洋医学の良さのような気がする。
事実を知り、その事実をありのままに受け入れることで、治癒のプロセスがスタートしたのかもしれない。
未病を大切だと考える東洋医学と、事象を大切だと考える西洋医学は、もっともっと有機的に機能しあえることを痛感した
3/24のテトラスクロールでのライブ&ペインティング「魔法のことば」のスタンプがあがってきた。昨年作ったテトラスクロールのコーヒーチケットに押して、イベントのチケットにするために作成したのだけれど、なんだかとてもカワイイ。

あまりにも遅いケガの回復に、いくらなんでも加齢だけではなさそうだと思い、病院で検査を受けてきた。
「レントゲンの結果、異常が見つかりました。骨化性筋炎ですね。」
骨化性筋炎は筋肉の炎症に引き続いてカルシウムが沈着し、石灰化現象が起こって筋組織の中に骨が形成されることをさします。大腿部前面に起こりやすく、この部分に強い打撃を受けた後によく見られます。チャーリーホースの処置が適切でなく、痛みを無視して筋肉を激しく使ってしまうことで起こります。この他にもしこりのある筋肉を強くもむようなマッサージ、痛みがある時点での無理なストレッチも骨化性筋炎の原因となるので注意が必要です。骨化性筋炎は打撲に対する不適切なケアがもたらす長期的な合併症と位置付けられています。(「真面目にスポーツトレーニング!」より)
ああ、まさにその通りかも・・・。
今日もヨガにまつわる、敬愛する<神様>ジェリー・ロペスの言葉(「ヨガでシンプル・ビューティ・ライフ」)を。
もちろん最初はただアーサナを習うだけでもいいんだよ。プラーナーヤマ・エクササイズと瞑想は充分なトレーニングだし、たくさんの時間が必要。けれどヨガは、すぐに表れる肉体的、精神的な利益の他に、あなたを自己発見の道へと招き入れてくれることを忘れないで。ヨガは、自分を、そして人生を変えることができる。そしてヨガの素晴らしいところは、いつでもどこでもすべての人へ開かれた道だということだ。
ヨガコース開講にあたって、敬愛する<神様>ジェリー・ロペスの言葉を(「ヨガでシンプル・ビューティ・ライフ」)。
ボクも最初は、波と調和するために、しなやかな動きを見つけたいという単純な思いでヨガを始めた。けれど追求していくと、自分の意識が変わっていくのがわかる。どうしてサーフィンを愛しているのか、海の神秘、波とつながる体と心と魂・・・。
そういえば、ボクが合気道を始めた動機もまるで同じ、「しなやかな動きを見つけたい」からだったな。
4月からのテトラスクールのヨガコースのスケジュールが決まりました。
毎週水曜日(テトラスクロールは定休日)の午前中、ヨガコースを開催します。

詳細は追って。
魔法のことば at テトラスクロール の フライヤーが上がってきました。
ライブ&ペインティング 「魔法のことば」
3月24日 彼岸明(土) 16時開場 16時30分開演
ライブチャージ ¥2000(ドリンク付)
北山耕平トークライブ「ネイティブであるということ」、
映画「食の未来」上映会に続くテトラスクロールのイベントは、
ライブ&ペインティング「魔法のことば」です。
アメリカ先住民の口承詩の朗読と唄、民族楽器の生演奏と、
観客の前で絵を描きあげるライブペインティングが、
和田の漁師町の古民家を舞台にして繰り広げられます。
古今東西のスピリット(精霊)の連なりが、
二人のアーティストが依巫(よりまし)になることで、
見えない世界から顕在化する貴重な瞬間を体験してください。
宮下昌也
3歳より絵を描き始めて20歳より展覧会で作品発表を始める。
20代のアジア放浪後、1990年に南房総に移住。
その後、美術家としての活動を本格的に開始。
イラスト、クラフト、デザイン、壁画、ライブペインティング等多岐にわたって活動中。
個展、グループ展、イベントへの参加展示多数。ワークショップ活動も行なう。
東京芸大デザイン科卒。著書に「なつみかんの きの はなし」(こどものくに・鈴木出版)
KATSU(from kuri)
ギリシャの弦楽器・ブズーキなど様々な民族楽器の音色や響きを取り入れた
独自の音の世界を作り出す音の旅人。2000年ヨーロッパ5カ国縦断ツアー、
2003年フィリピン北部山岳地域ツアー、2005年愛・地球博出演、
2006年国連60周年・別府国際平和映画祭出演など国内外にて活動。
グループKURIとして「風の舞」「遠い記憶」の2枚のCDを製作、
オムニバスCD「しおのみち三の巻」にも参加。
定員に限りがありますので、ご予約はお早めに。
(電話0470-47-5822またはメールbookcafe@tetrascroll.infoまで)
カフェ・テトラスクロール
千葉県南房総市和田町和田447
(ちばぎん向かい入る・和田浦海水浴場上)
電話 : 0470-47-5822 Email : bookcafe@tetrascroll.info web : http://www.tetrascroll.info